役割別
大名
日本封建社会の領主——大軍を率い、領国を治め、各時代の戦乱を形作った地方の有力者たち。
収録人物 26 名
この役割の人物

SA-0054 / 生年不詳
井伊直虎
遠州井伊谷の女城主として井伊家を存続させ、直政を育てた戦国期の女性領主

SA-0024 / 1157
北条政子
未亡人として鎌倉幕府の最初の真の支配者となった尼将軍

SA-0029 / 1251
北条時宗
二度の元寇を撃退し、鎌倉幕府の財政を尽くした若き執権

SA-0050 / 1497
毛利元就
弱小国人領主から一代で中国十か国の覇者となった戦国屈指の謀将
- 今
SA-0072 / 1519
今川義元
駿河・遠江・三河を治め『海道一の弓取り』と称された東海の大名、桶狭間に散る

SA-0005 / 1521
武田信玄
風林火山の旗を掲げた甲斐の虎

SA-0030 / 1528?
明智光秀
本能寺の変で天下を変えた謀反人

SA-0006 / 1530
上杉謙信
毘沙門天を奉じた越後の龍

SA-0001 / 1534
織田信長
天下統一への道を切り拓いた革命児

SA-0066 / 1535
島津義弘
朝鮮の役で明軍から『鬼石曼子』と恐れられ、関ヶ原で『捨て奸』の中央突破を敢行した薩摩の猛将

SA-0002 / 1537
豊臣秀吉
農民から天下人へ昇り詰めた立志伝中の人

SA-0033 / 1546
武田勝頼
長篠で武田騎馬軍団を失った最後の当主

SA-0013 / 1547
真田昌幸
ひとつの小城から徳川を二度撃退した山岳の智将

SA-0063 / 1547?
お市の方
織田信長の妹、浅井長政の妻、後に柴田勝家の妻。戦国期女性の悲劇を象徴する『お市』

SA-0012 / 1559
石田三成
豊臣家を守るため徳川と戦い、敗れた行政官

SA-0064 / 1561
福島正則
賤ヶ岳七本槍の筆頭、関ヶ原東軍先鋒、そして城の無断修築で改易された秀吉子飼いの猛将

SA-0018 / 1562
加藤清正
賤ヶ岳七本槍の戦士、四百年崩れない城を築いた築城の名手

SA-0017 / 1563
細川ガラシャ
夫の家を新時代に残すために自ら命を絶ったキリシタンの大名夫人

SA-0039 / 1565?
大谷吉継
敗戦を知って盟友三成と共に関ヶ原に立った智将

SA-0020 / 1566
真田信之
東軍に付いた兄として弟・幸村より四十三年長生きし、明治まで続く家を建てた

SA-0004 / 1567
伊達政宗
仙台を築いた独眼竜

SA-0014 / 1567
立花宗茂
「西国無双」、すべてを失い、すべてを取り戻した大名

SA-0055 / 1569
立花誾千代
七歳で立花家家督を継いだ戦国期の女性領主、立花宗茂の妻

SA-0040 / 1582
小早川秀秋
松尾山の決断で戦国を終わらせた若き裏切者

SA-0019 / 1751
上杉鷹山
破綻寸前の藩を三十年の倹約改革で救った若き名君

SA-0027 / 1815
井伊直弼
不平等条約に調印し、江戸城門前で殺された大老
この役割に関連する記事
本能寺の変——なぜ明智光秀は信長を討ったのか
1582年6月のある未明、明智光秀は軍を返し、主君を炎の中に追い込んだ。なぜ謀反を起こしたのか、四百年経った今も歴史家は答えを出せていない。
関ヶ原——なぜ徳川は一日で日本を手に入れたのか
1600年10月21日、美濃の盆地に約八万ずつの軍勢が霧の中で対峙した。日没までに、その後250年の日本を決めた戦いは終わっていた。
関ヶ原を裏切った男たち——その後の運命
西軍の主要武将四人が、その日のうちに東軍へ寝返った。その三人は十年以内に没落した。残る一人は二百六十年後、徳川を倒す側の祖となった。
川中島——戦国最大の宿敵対決
五度の合戦、十二年、決着なし。武田信玄と上杉謙信が信濃の一河原で繰り返した邂逅は、日本人にとって「対等の宿敵」の原型となった。
敵に塩を送る——武士の義を定義した一手
1567年の冬、上杉謙信は宿敵・武田信玄に塩を送った、五度戦った相手にである。四百年後、この振る舞いは今も日本の倫理教育で「義戦」の最高峰として教えられる。
戦略は劇場である——なぜ秀吉は最高の軍師を中央から遠ざけたか
黒田官兵衛は戦が起こる前に戦の結末を読めた。秀吉は彼を恐れすぎたあまり、功績に見合わぬ九州の小領に減封した。その判断が戦国屈指の異色の軍師の生涯を形作った。
上田城——三千で三万八千を止めた話
1585年と1600年、真田昌幸は二度、信濃の小城で自身の何倍もの徳川軍を退けた。第二次の防戦は日本史の流れを変えた。第一次の防戦は彼がそのやり方を編み出した瞬間だった。
十二年の帰還——関ヶ原で改易された大名で旧領復帰を果たした唯一の男
立花宗茂は関ヶ原で全てを失った、一族が代々保持してきた柳川13万2千石。十二年後、徳川は静かにそれを返した。西軍諸将でこの処遇を受けたのは、宗茂ただ一人である。
襖越しの一突き——細川ガラシャと関ヶ原前夜
1600年7月17日、関ヶ原本戦の三か月前、自害を信仰により禁じられたキリシタンの大名夫人は、家老に襖越しに長刀で討たせた。その死は彼女が見ることのなかった戦の流れを変えた。
熊本城——四百年崩れない城の設計
1601年から1607年に加藤清正が築いた熊本城は、その二百七十年後の1877年、薩摩軍が五十五日間攻めても落とせなかった。武士の遺産で実物として今日まで読める数少ない一つである。
為せば成る——十七歳の藩主が破綻寸前の藩を救った話
1767年、上杉鷹山が米沢藩を継いだ時、財政は同時代の人間が幕府への返上を勧めるほど酷かった。三十年後、藩は再生していた。手法は今も日本のリーダーシップ講座で教えられる。
伝説より長く生きた兄——なぜ真田信之は九十二まで生きたのか
真田信繁(幸村)は1615年、大坂で英雄として死んだ。兄・信之は関ヶ原で徳川側に付いた。弟より四十三年長く生き、明治まで続く家を築いた。この対比は武士の忠誠が実際に何を要求するかを語る。