資料No. SA-0055
侍アーカイブ
立花誾千代
Tachibana Ginchiyo
立花家当主・立花山城主
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 立花誾千代 |
|---|---|
| 英名 | Tachibana Ginchiyo |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1569–1602 |
| 性別 | 女性 |
| 世紀 | 16世紀 |
| 家・役職 | 大名 |
| 肩書 | 立花家当主・立花山城主 |
第二章 — 経歴
1569年(永禄十二年)、豊後国大友家の重臣・立花道雪の一人娘として生まれる。1575年、道雪は七歳の誾千代に立花家の家督を譲った。女性領主として立花山城主に立てられた稀有な事例である。1581年、道雪は誾千代の婿として高橋紹運の長男・宗茂(本サイト id 14)を迎え、立花家の後継とした。
誾千代と宗茂は同居せず、それぞれ独立した屋敷を構えたと立花家伝は伝える。1600年の関ヶ原の戦いで宗茂が西軍に付き改易された後、誾千代は肥後国腹赤(現在の熊本県玉名郡)に隠棲し、1602年に三十四歳で没した。宗茂とは終生別離のままだったが、後年宗茂が徳川に許されて柳川藩再興を果たすとき、亡き誾千代の名は立花家中興の起点として語り継がれた。
第三章 — 年表
第五章 — 逸話
[A]別居婚——誾千代と宗茂
立花誾千代と立花宗茂の夫婦は、婚姻後も同居せず、それぞれ独立した屋敷を構えて統治したと立花家伝は伝える。誾千代は立花山城の一角に女武者団を組織し、独自の武装勢力を維持したとされる。1586年の島津軍の岩屋城攻撃時、誾千代が女兵を率いて守備に加わったとする逸話は江戸期立花家譜に見えるが、同時代史料での裏付けはない。
夫婦の別居は、道雪から誾千代への家督継承の重みを宗茂が終生尊重し続けた結果とも解釈される。
第六章 — 影響と遺産
誾千代は戦国期における女性家督継承の稀有な例として、日本の女性史・武家史における特筆すべき存在である。父・道雪から七歳で家督を譲られた事実は複数史料で確認され、女性が武家の家督を継承しうるという先例を残した。立花家の後継として婿養子となった宗茂(本サイト id 14)は、関ヶ原後の改易・再興を経て柳川藩を確立、江戸期に藩主家として存続した。
福岡県柳川市の良清寺には誾千代の墓所が現存する。
第七章 — 主な功績
- [01]七歳で立花家家督継承(1575)
- [02]立花山城の女性領主として統治
- [03]立花宗茂の婿養子継承の受け入れ
- [04]肥後国腹赤への隠棲(1600–1602)
第八章 — 参考資料
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
立花家譜
立花家伝来
江戸期に立花家により編纂された家譜、誾千代の家督継承の主要な典拠
- 学術文献
立花宗茂
中野等 / 吉川弘文館(人物叢書)
宗茂研究の代表的著作、誾千代の記述を含む
- 公的所蔵
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