保管文書
資料No. SA-0006
侍アーカイブ
上杉謙信
Uesugi Kenshin
越後国主
上
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 上杉謙信 |
|---|---|
| 英名 | Uesugi Kenshin |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1530–1578 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 16世紀 |
| 家・役職 | 大名 |
| 肩書 | 越後国主 |
第二章 — 経歴
1530年に長尾景虎として生まれ、関東管領・上杉憲政から上杉の名跡と関東管領職を譲られて、戦国屈指の名将となった。毘沙門天の熱心な信仰者で「義戦」を掲げ、敵対する武田信玄に塩を送った逸話は武士の徳の極致として伝わる。信玄との五度の川中島合戦は伝説となり、1577年には手取川の戦いで織田信長軍を破った。
信長を野戦で破った唯一の事例である。上洛準備の最中、1578年に厠で急逝。脳卒中とも毒殺ともいわれるが、信長にとっての二度目の脅威がここでも消えた。
第三章 — 年表
1530越後国に生誕
1548長尾家家督を相続
1561上杉の名跡と関東管領職を継承
1561第四次川中島の戦い
1577手取川の戦いで織田軍を破る
1578越後にて急逝
第四章 — 名言
“運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり”
第五章 — 逸話
[A]敵に塩を送る
今川・北条が武田領への塩の供給を断った時、謙信は越後の塩を信玄に送り「戦は弓矢で行うもの、米塩で行うものではない」と言ったとされる。武士の義の頂点として語り継がれる。
第六章 — 影響と遺産
謙信は「義のために戦う武人」という武士道の理想像を体現した。手取川での織田軍撃破は戦国史において孤高の戦績であり続けている。
第七章 — 主な功績
- [01]五度の川中島合戦
- [02]手取川の戦い(1577)
- [03]関東管領としての改革
- [04]林泉寺・毘沙門堂への保護
第八章 — 参考資料
第十章 — 関連レポート
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