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別居婚——誾千代と宗茂はなぜ同居しなかったか
立花誾千代と立花宗茂の夫婦は、婚姻後も同居せず、それぞれ独立した屋敷を構えた。立花家伝の伝える『別居婚』の実相と、その政治的意味を辿る。
立花誾千代立花宗茂別居婚
1581年に立花家に婿入りした立花宗茂は、翌年以降、妻・誾千代と同居しなかった。誾千代は立花山城の一角に自らの屋敷を構え、宗茂は本丸で執務した。戦国末期の武家における例外的な婚姻形態である。
別居の理由
立花家伝記が伝える理由は複数ある。第一に、誾千代が家督継承者として独立した統治権を保持していたこと。第二に、道雪の遺志として、誾千代が独自の武装勢力を維持することが求められたこと。
第三に、誾千代自身が武芸を修めた女性で、女性の家臣団を率いていたこと。
誾千代の女兵団
江戸期立花家譜は、誾千代が女性の武者団を組織し、立花山城の防衛の一角を担ったと伝える。1586年の島津軍の岩屋城攻撃時、この女兵団を率いて城の一部を守ったとされる。
同時代史料での裏付けは薄いが、江戸期立花家では家伝として語り継がれた。
夫婦の合意
宗茂と誾千代の別居は、当時の武家における配偶者関係の常識を超えた合意だった。宗茂は誾千代の家督継承の重みを終生尊重し、正妻としての誾千代の地位を最後まで保持した。
関ヶ原で立花家が改易となった後も、誾千代は宗茂と別行動を取った。
別居婚は当時の武家においては例外だが、立花家においては道雪の遺志と誾千代の家督継承の重みから生まれた特殊解だった。この夫婦の関係は、戦国末期の武家における女性の位置を考える際の重要な事例として、現代の女性史研究の対象となっている。
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
立花家譜
立花家伝来
誾千代と宗茂の別居婚を伝える主要典拠
- 学術文献
立花宗茂
中野等 / 吉川弘文館(人物叢書)
誾千代・宗茂夫妻の別居の政治的意味を実証的に検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート
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