保管文書
資料No. SA-0017
侍アーカイブ
細川ガラシャ
Hosokawa Gracia
細川夫人、キリシタン
細
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 細川ガラシャ |
|---|---|
| 英名 | Hosokawa Gracia |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1563–1600 |
| 性別 | 女性 |
| 世紀 | 16世紀 |
| 家・役職 | 大名 |
| 肩書 | 細川夫人、キリシタン |
第二章 — 経歴
1563年、明智光秀の三女・玉として生まれた。十五歳で織田信長の取り計らいにより細川忠興に嫁いだ。1582年、父光秀が本能寺で信長を討つと、細川家は表向き縁を絶ち、忠興は丹後の山荘・三戸野に彼女を二年間幽閉した。
光秀の山崎敗戦の後、秀吉の赦免を得て夫のもとに戻る。1587年、九州征伐で忠興が留守の間にイエズス会司祭の洗礼を受け、洗礼名「ガラシャ」を得た。1600年夏、関ヶ原の前夜、夫が東軍として家を空けた隙に、石田三成が大坂の細川邸を包囲して人質を求めた。
カトリックの教義は自害を禁じていた。家老・小笠原少斎に襖越しに長刀で討たせ、邸に火を放たせた。1600年7月17日のことである。
関ヶ原本戦の三か月前であった。
第三章 — 年表
1563明智玉として生誕
1578細川忠興に嫁ぐ
1582本能寺事件で三戸野に幽閉
1584秀吉の赦免を得て帰還
1587洗礼を受け「ガラシャ」となる
1600大坂で自害
第四章 — 名言
“散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ”
第五章 — 逸話
[A]襖越しの一突き
カトリックの教えにより自害を禁じられていたガラシャは、家老・小笠原少斎に閉ざした襖の向こうから長刀で討たせた。少斎は遺体を庇って邸に火を放ち、自身も切腹した。彼女は自害前に女衆を逃がしており、共に死んだ女性は一人もいなかった。
第六章 — 影響と遺産
ガラシャは戦国期の女性として希少な存在である。武士としての名誉ある最期の伝統と、初期日本キリシタンの代表的殉教者という二つの伝統で同時に讃えられた。大阪の玉造カトリック教会は彼女を記念して再建されており、毎年カトリックの追悼行事が催される。1959年のオーストリアのオペレッタ『日本のキリスト者(Die Christin von Japan)』は彼女の物語を欧州の聴衆に紹介した。
第七章 — 主な功績
- [01]キリスト教への改宗(1587)
- [02]1600年の人質拒絶
- [03]オペレッタ・歌舞伎・大河ドラマ等多数の主役
第八章 — 参考資料
資料終了 -- SA-00171 / 1 ページ
