資料No. SA-0063
侍アーカイブ
お市の方
Oichi
織田信長の妹、浅井長政・柴田勝家の正室

第一章 — 人物概要
| 氏名 | お市の方 |
|---|---|
| 英名 | Oichi |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1547?–1583 |
| 性別 | 女性 |
| 世紀 | 16世紀 |
| 家・役職 | 大名 |
| 肩書 | 織田信長の妹、浅井長政・柴田勝家の正室 |
第二章 — 経歴
1547年頃、織田信秀の娘として尾張国に生まれる。信長の実妹(あるいは従妹という説もある)。1567年頃、政略結婚により近江国の浅井長政に嫁いだ。長政との間に三女。茶々(後の淀殿)、初(京極高次室)、江(徳川秀忠室、三代将軍・家光の母)。を儲けた。
1570年、信長が越前の朝倉義景を攻めると、長政は朝倉方に付き、姉川の戦いで信長と対峙した。1573年(天正元年)、小谷城が信長軍に囲まれた際、長政は自刃、お市は三姉妹と共に城を脱出、信長の許で保護された。長政の遺児・万福丸は殺害された。以後十年間、お市は織田家の庇護下で暮らした。
1582年6月、本能寺の変で信長が横死。同年、清洲会議の合意により、お市は柴田勝家に再嫁した。三十代半ば、勝家は還暦前後。しかし翌1583年(天正十一年)4月、賤ヶ岳の戦いで勝家は羽柴秀吉に敗れる。北ノ庄城が秀吉軍に囲まれた4月24日、お市は勝家と共に自刃した。
享年三十七前後。三姉妹は秀吉により助命され、秀吉の側室(茶々)と徳川将軍家母(江)を通じて日本史の中枢に位置し続けることになる。
第三章 — 年表
第四章 — 名言
“さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな”
第五章 — 逸話
[A]『小豆袋』の伝承
姉川の戦い前夜、お市は信長のもとに『両端を結んだ小豆袋』を届け、浅井家が朝倉方に付き信長を挟撃する計画を暗に知らせた。この逸話は江戸期以降の軍記物で広く語られたが、同時代史料での裏付けはない。信長が浅井の裏切りを予期していたことは同時代記録に見えるが、お市が使者の役を果たした具体的証拠はなく、江戸期の物語化の産物と考えられている。
ただし、実兄と実夫が敵対する状況に置かれた女性という悲劇性が、後世の日本人にとって強烈な物語として結晶した事実そのものは、お市という人物の歴史的位置を象徴する。
第六章 — 影響と遺産
お市は戦国期女性の悲劇を象徴する存在として、四百年以上にわたり日本文化の中で語り継がれてきた。実兄・信長、実夫・浅井長政、再嫁の相手・柴田勝家。三人の武将の運命に翻弄され、二度の落城を経験し、最後は自ら命を絶った。お市自身の政治的行動の記録はほぼ残らないが、三人の娘。
茶々(豊臣秀頼母)、初(京極家)、江(徳川将軍家母)。を通じて、戦国末期から江戸初期の日本史の中枢に血脈を残した。特に江は三代将軍・家光の母となり、以後の徳川将軍家の血統にお市の血が受け継がれた。福井県福井市の北ノ庄城跡・柴田神社にはお市の像が建立され、滋賀県長浜市の小谷城址は浅井氏の遺構として整備されている。
第七章 — 主な功績
- [01]浅井長政との婚姻(1567?)
- [02]三姉妹(茶々・初・江)の出産
- [03]小谷城脱出(1573)
- [04]柴田勝家との再婚(1582)
- [05]北ノ庄城での自刃(1583)
第八章 — 参考資料
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
信長公記
太田牛一
信長家臣による同時代記録、お市関連の記述を含む一次史料
- 学術文献
浅井氏三代
宮島敬一 / 吉川弘文館(人物叢書)
浅井家研究の代表的著作、お市の生涯を含む
- 公的所蔵
おすすめ書籍
第十章 — 関連レポート
SA-RPT
姉川——お市の兄と夫が敵となった日
1570年6月28日、近江国姉川。織田信長と浅井長政が正面から衝突した。信長にとって長政は妹婿、長政にとって信長は義兄。お市の位置から見た戦国期政略結婚の破綻を辿る。
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小谷落城——1573年、お市は三姉妹と共に城を出た
1573年8月、小谷城は信長軍に包囲された。夫・浅井長政は自刃、長男・万福丸は殺害、お市は三姉妹と共に城を出て兄・信長のもとへ戻る。戦国期女性の運命の分岐点を辿る。
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北ノ庄——賤ヶ岳の負けが決まった夜、お市は自刃を選んだ
1583年4月24日、越前国北ノ庄城。賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた柴田勝家と、その妻お市は、城の炎上を前に自刃した。三姉妹は秀吉に助命された。お市三十七歳前後の最期。







