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小谷落城——1573年、お市は三姉妹と共に城を出た
1573年8月、小谷城は信長軍に包囲された。夫・浅井長政は自刃、長男・万福丸は殺害、お市は三姉妹と共に城を出て兄・信長のもとへ戻る。戦国期女性の運命の分岐点を辿る。
1573年(天正元年)8月末、近江国小谷城(現在の滋賀県長浜市)。三年間の攻囲の末、信長軍が本丸に迫った。夫・浅井長政は最後の抵抗を試みた後、9月1日に自刃。享年二十九。
城内には妻・お市と三人の幼い娘。茶々(数え七歳)、初(数え五歳)、江(数え一歳)。が残されていた。
長政の遺志
長政は最期に、妻・お市と娘たちを兄・信長のもとへ送り返す決断をした。戦国期の常識では、敗軍の当主の妻子は自害または処刑が普通だったが、長政はお市と娘たちの命を優先した。
信長側もお市を実妹として引き取る用意を整えていた。落城直前の8月末、お市は三姉妹と共に城を脱出、信長軍に保護された。
万福丸の運命
しかし長政の長男・万福丸(お市の子ではなく側室の子とする説と、お市の子とする説の両方がある。数え十歳前後)は逃亡先で捕縛され、信長の命により関ヶ原で串刺しの刑に処された。
浅井家の男系継承者を絶やすという戦国期の非情の常識が適用された。娘たちが助かり息子が殺されたこの選別は、戦国期の武家の血統継承の考え方を象徴する。
以後十年。三姉妹の成長
お市と三姉妹は信長の庇護下に入り、以後十年間、織田家で暮らした。三姉妹はやがて戦国末期から江戸初期の日本史の中枢に位置することになる。茶々は秀吉の側室・淀殿となり豊臣秀頼の母となる、初は京極高次の妻、江は徳川秀忠の妻となり三代将軍・家光の母となる。
1573年の小谷落城で母娘四人が生き延びた事実が、以後の日本史の血脈の中核を形作った。
"お市と三姫、小谷を出でて信長の許に帰る。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
信長公記
太田牛一
小谷城落城とお市の脱出を伝える一次史料
- 学術文献
浅井氏三代
宮島敬一 / 吉川弘文館(人物叢書)
お市脱出の経緯を実証的に検討
- 公的所蔵
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