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姉川——お市の兄と夫が敵となった日
1570年6月28日、近江国姉川。織田信長と浅井長政が正面から衝突した。信長にとって長政は妹婿、長政にとって信長は義兄。お市の位置から見た戦国期政略結婚の破綻を辿る。
1570年6月28日(元亀元年六月二十八日)、近江国姉川(現在の滋賀県長浜市)。織田信長と徳川家康の連合軍二万八千が、浅井長政と朝倉義景の連合軍一万八千と対峙した。
姉川の流れを挟んで両軍が展開し、朝から夕まで激戦が続いた。信長にとって浅井長政は妹婿、長政にとって信長は義兄。三年前の政略結婚で結ばれた両家が、この日を境に完全に敵対関係となった。
政略結婚から敵対まで
1567年頃、信長は妹・お市を浅井長政に嫁がせた。近江北部の浅井氏と尾張・美濃の織田氏の同盟締結が目的だった。お市二十歳前後、長政二十二歳。順調な結婚生活は長政の父・久政と義父・信長の政治的対立に翻弄される。
1570年、信長が越前の朝倉義景を攻めた際、浅井家は代々の朝倉家との盟約を優先し、朝倉方に付いた。金ヶ崎の戦いで信長を挟撃しようとした浅井の裏切りは、信長の生涯における最大の危機の一つとなった。
『小豆袋』の伝承
この時、お市が『両端を結んだ小豆袋』を信長のもとに届け、浅井の裏切りを暗に知らせた。という逸話が江戸期以降広く伝えられた。しかし同時代史料での裏付けはない。信長が浅井の裏切りを察知した経緯は史料に見えるが、お市の関与を示す具体的証拠はない。
江戸期の物語作者が、実兄と実夫が敵対する女性の悲劇性を強調するために創作した伝承と考えるのが現代の研究の立場である。
姉川の戦い後の三年
姉川で朝倉・浅井連合軍は敗れたが、浅井家は本拠・小谷城に籠もり抵抗を続けた。以後三年、信長は徐々に浅井の勢力を削り、1573年8月に小谷城を陥落させる。この三年間、お市と三姉妹は小谷城内で暮らし、姉川の戦いで敗れた実父の家臣たちに囲まれていた。
実兄が実夫の家臣を殺し、実夫の家臣が実兄の軍と戦う。お市の三年は、戦国期政略結婚が破綻した時の女性の位置を最も鮮烈に示す事例となった。
"浅井父子、朝倉方に与し、金ヶ崎より信長を挟む。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
信長公記
太田牛一
姉川の戦い前後の政治動向を伝える一次史料
- 学術文献
浅井氏三代
宮島敬一 / 吉川弘文館(人物叢書)
浅井家とお市の関係を実証的に検討
- 公的所蔵
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