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北ノ庄——賤ヶ岳の負けが決まった夜、お市は自刃を選んだ
1583年4月24日、越前国北ノ庄城。賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた柴田勝家と、その妻お市は、城の炎上を前に自刃した。三姉妹は秀吉に助命された。お市三十七歳前後の最期。
1583年(天正十一年)4月24日夜、越前国北ノ庄城(現在の福井県福井市)。三日前の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家軍は羽柴秀吉軍に大敗し、勝家は本拠地・北ノ庄城に退却していた。
城は秀吉軍に完全に包囲され、翌日には陥落必至の情勢だった。城内では勝家と、半年前に再嫁したばかりの妻・お市が最期の夜を迎えていた。
半年前の再婚
1582年6月の本能寺の変で兄・信長が横死した後、同年10月末の清洲会議の合意により、お市は柴田勝家に再嫁した。三十五歳前後、勝家は還暦前後の年齢差だった。この結婚は織田家中の派閥政治の産物で、勝家が羽柴秀吉に対抗するための政治的同盟の意味を持った。
お市自身の意思がどこまで反映されたかは史料からは不明だが、半年後には夫と共に自ら命を絶つという選択に至る。
三姉妹の助命
落城の前夜、お市と勝家は三姉妹。茶々(十七歳)、初(十五歳)、江(十一歳)。を城から出す決断をした。三姉妹は秀吉軍に引き渡され、秀吉により助命された。三姉妹の運命がここで浅井の家から徳川将軍家の中枢へと繋がる線が引かれた。
母娘の別れは、お市が娘たちを守るために自らの生を選ばなかった最後の選択でもあった。
自刃と辞世
4月24日夜、北ノ庄城が炎に包まれる中、お市と勝家は本丸で自刃した。享年三十七前後。辞世の句として『さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな』が伝わる(信長公記所収)。
二度の落城を経験し、実兄・実夫・再嫁の相手の全てを政治的敵対関係の中で失った女性の最期の言葉として、四百年以上にわたって読み継がれてきた。福井市の北ノ庄城跡は現在、柴田神社としてお市と勝家を祀っている。
"さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
信長公記
太田牛一
賤ヶ岳戦後の北ノ庄城落城を伝える
- 学術文献
浅井氏三代
宮島敬一 / 吉川弘文館(人物叢書)
お市の最期を実証的に検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート