役割別
幕末志士
幕府を倒し近代日本を生んだ1850-60年代の勤王活動家たち。
収録人物 3 名
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船中八策——明治憲法を静かに先取りした一通の覚書
1867年、坂本龍馬は長崎から兵庫への蒸気船「夕顔」の船中で、八ヶ条の覚書を口述した。彼は31歳、脱藩浪士で、暗殺の三か月前。その覚書が近代日本の青写真となった。
熊本城——四百年崩れない城の設計
1601年から1607年に加藤清正が築いた熊本城は、その二百七十年後の1877年、薩摩軍が五十五日間攻めても落とせなかった。武士の遺産で実物として今日まで読める数少ない一つである。
城山——武士階級が終わった日
1877年9月24日、明治政府を作った男が、自ら作った政府に対して死した。西郷隆盛の城山での最期は通例、武士階級の終わりの日付とされている。その通例の日付は正しい。
なぜ最後の将軍は権力を返したか——徳川慶喜と大政奉還
1867年11月9日、第十五代徳川将軍は政権を朝廷に返上した。新たな立憲国家で徳川家が主要な構成員として残ると信じていた。彼はその点で誤算した。他のすべてでは正しかった。
親友を打ち砕いた設計者——大久保利通と近代日本の建設
1868年から1878年までの十年で、大久保利通は近代日本の制度設計を課した。政治的代償は生涯の友・西郷隆盛の破壊であった。西郷の死から九か月後、大久保自身も新国家が彼らから奪ったすべての責任を彼に問う者たちに殺された。
薩長同盟の舞台裏——木戸孝允から見た交渉の現実
1866年1月、薩摩と長州は京都で同盟を結んだ。倒幕の決定的政治基盤を作ったこの合意の長州側当事者は桂小五郎(後の木戸孝允)である。仲介役・坂本龍馬の有名な伝承の影で、当事者から見た交渉の現実があった。
江戸無血開城——西郷と勝が百万の街を救った日
1868年3月14日、勝海舟と西郷隆盛が薩摩屋敷で会談した。翌日の江戸城総攻撃を回避するための直接交渉だった。この一日の会談が、江戸百万の市民の生命と街の財産を戦火から守った。
龍馬の師——勝海舟はいかに坂本龍馬を育てたか
1862年、土佐脱藩浪士・坂本龍馬は幕臣・勝海舟を斬りに来た。勝は龍馬と一晩語り合い、龍馬は刀を引いて勝の弟子となった。この一夜の出会いが、四年後の薩長同盟と大政奉還の起点となる。
駿府会談——山岡鉄舟が単身西郷に乗り込んだ日
1868年3月9日、山岡鉄舟は単身で官軍占領下の駿府に乗り込み、西郷隆盛と会談した。江戸無血開城の枠組みはこの一日の駿府会談で定まり、五日後の勝・西郷会談に繋がった。歴史を動かした無位無官の幕臣の一日。


