資料No. SA-0021
侍アーカイブ
西郷隆盛
Saigō Takamori
薩摩藩士、維新の立役者
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 西郷隆盛 |
|---|---|
| 英名 | Saigō Takamori |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1828–1877 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 家・役職 | 幕末志士 |
| 肩書 | 薩摩藩士、維新の立役者 |
第二章 — 経歴
1828年、薩摩鹿児島の下級武士の長男として生まれた。改革派薩摩藩主・島津斉彬に抜擢され、幕末の政治激動の中で要職に上る。1864年に坂本龍馬と会い、薩摩を倒幕同盟に向かわせる流れを作った。
1868年、新政府軍代表として勝海舟と交渉し、江戸城の無血開城を実現する。これにより萩や会津のような市街戦の惨禍から江戸は免れた。新政府の近衛都督、明治政府の最高位の人物の一人となる。
1873年、大久保利通や岩倉具視と征韓論をめぐって対立し、政府を辞して鹿児島に戻った。私学校を開き旧武士たちを集めた。1877年、武士の特権廃止に反発した南九州の武士団が反乱を起こすと、不本意ながらこれを率いた。
十か月の戦役の末、1877年9月24日、鹿児島の城山で包囲されて切腹した。
第三章 — 年表
第四章 — 名言
“敬天愛人”
第五章 — 逸話
[A]江戸城の引き渡し
1868年春、西郷は新政府軍を率いて江戸の門前まで進軍した。岩倉からの命令は江戸を武力制圧することだった。多々良で徳川海軍奉行の勝海舟と会い、勝の言を聞き、数刻のうちに進軍停止の使者を出した。江戸は戦なく東京となった。後年、西郷は勝との会見が生涯最も重要な対話だったと記している。
第六章 — 影響と遺産
西郷は武士から近代国家への移行の象徴的人物となった。1903年に建てられた上野公園の銅像、犬を連れた着流し姿のものは、世界で最も多く撮影された武士の像である。2003年の映画『ラスト サムライ』の渡辺謙のキャラクターのモデルでもある。城山での最期は、武士階級が公式に終わった瞬間として日本の学校で教えられている。
第七章 — 主な功績
- [01]薩長同盟成立(1866)
- [02]江戸城無血開城(1868)
- [03]近衛都督創設(1871)
- [04]城山での最期(1877)
第八章 — 参考資料
第十章 — 関連レポート
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熊本城——四百年崩れない城の設計
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