資料No. SA-0038
侍アーカイブ
木戸孝允
Kido Takayoshi
長州藩士・明治政府参議

第一章 — 人物概要
| 氏名 | 木戸孝允 |
|---|---|
| 英名 | Kido Takayoshi |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1833–1877 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 家・役職 | 藩士 |
| 肩書 | 長州藩士・明治政府参議 |
第二章 — 経歴
1833年、長州萩の藩医和田家に生まれ、桂家に養子に入った。江戸の斎藤弥九郎道場で神道無念流剣術を修め、塾頭となるほどの剣才を示した。松下村塾の門下生ではないが松陰と親交を結び、長州藩の藩政中枢に登用された。
1864年の池田屋事件で新選組襲撃を辛うじて免れた後、1866年に坂本龍馬の仲介で西郷隆盛と薩長同盟を結び、倒幕の政治的基盤を作った。明治維新後は木戸孝允と改名し、五箇条の御誓文を起草、版籍奉還・廃藩置県の中心人物となった。岩倉使節団に参加して欧米視察、帰国後は西郷の征韓論に反対した。
1877年、西南戦争の最中に病没した。維新三傑(西郷・大久保・木戸)の中で最初に没した人物である。
第三章 — 年表
第四章 — 名言
“大事を成さんと欲する者は、すべからく細事より始むべし”
第五章 — 逸話
[A]池田屋からの脱出
1864年7月8日の池田屋事件で、桂小五郎(後の木戸孝允)は会合に参加予定だったが、約束の時刻より早く到着し、対馬藩邸へ立ち寄って戻ろうとした時に新選組襲撃が始まり、難を逃れた。歴史の偶然による生還だが、二年後の薩長同盟締結を可能にした生命の救出として、後の維新を決定づけた一場面となった。
第六章 — 影響と遺産
木戸は西郷隆盛・大久保利通と並ぶ維新三傑の一人として、明治政府の制度設計の中心的役割を担った。五箇条の御誓文・版籍奉還・廃藩置県・地租改正と、近代日本の骨格となる制度はほぼ全てに彼の起草か関与がある。薩長同盟の長州側当事者として龍馬・西郷と並ぶ幕末政治の主役の一人であり、剣士・思想家・政治家・行政家の四つの顔を持つ稀有な人物として現代にも研究され続けている。
第七章 — 主な功績
- [01]薩長同盟締結(1866)
- [02]五箇条の御誓文起草(1868)
- [03]版籍奉還・廃藩置県(1869–1871)
- [04]岩倉使節団参加(1871–1873)
- [05]近代日本制度設計
第八章 — 参考資料
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
木戸孝允日記
木戸孝允
維新前後の政治過程を本人が記録した一次史料
- 学術文献
木戸孝允
佐々木克 / 中公新書
幕末・明治史研究の第一人者による評伝
- 公的所蔵
おすすめ書籍
第十章 — 関連レポート
SA-RPT
練兵館から内閣まで——桂小五郎の二つの人生
桂小五郎(後の木戸孝允)は江戸練兵館の塾頭となるほどの剣才を示した剣士だった。同じ人物が三十代で薩長同盟を結び、四十代で明治新政府の制度設計を担った。剣士と政治家の二つの人生を持つ稀有な維新指導者だった。
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薩長同盟の舞台裏——木戸孝允から見た交渉の現実
1866年1月、薩摩と長州は京都で同盟を結んだ。倒幕の決定的政治基盤を作ったこの合意の長州側当事者は桂小五郎(後の木戸孝允)である。仲介役・坂本龍馬の有名な伝承の影で、当事者から見た交渉の現実があった。
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五箇条の御誓文——近代日本の憲法的骨格を起草した一夜
1868年4月6日、京都御所紫宸殿で明治天皇が五箇条の御誓文を公布した。広く会議を興し万機公論に決すべし、で始まる五か条は近代日本の制度設計の出発点となる。原案を起草したのは木戸孝允と由利公正だった。



