保管文書
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資料No. SA-0037

侍アーカイブ

高杉晋作

Takasugi Shinsaku

長州藩士・奇兵隊総督

高杉晋作

第一章 — 人物概要

氏名高杉晋作
英名Takasugi Shinsaku
出身日本
生没年1839–1867
性別男性
世紀19世紀
家・役職幕士
肩書長州藩士・奇兵隊総督

第二章 — 経歴

1839年、長州萩の藩士家に生まれる。1857年に松下村塾に入塾し、松陰の最も信頼する門下の一人となった。1862年に幕府使節として上海を視察し、清国の半植民地化を目の当たりにして倒幕の決意を固めた。

1863年に下関で奇兵隊を結成、武士階級に閉じない武装組織として日本初の近代的軍隊の原型を作った。1864年の第一次長州征伐で長州藩が降伏方針に傾いた際、功山寺で挙兵して藩論を倒幕に転換させた。1866年の四境戦争で幕府軍を撃退し、明治維新の実現を決定づけた。

しかし結核が悪化し、1867年4月、明治維新の到来を見ることなく下関で病没した。享年二十七だった。

第三章 — 年表

1839長州萩に生誕
1857松下村塾入塾
1862幕府使節として上海視察
1863奇兵隊を結成
1864功山寺挙兵で藩論を倒幕へ転換
1866四境戦争で幕府軍を撃退
1867-04下関で病没

第四章 — 名言

おもしろき こともなき世を おもしろく

第五章 — 逸話

[A]功山寺挙兵

1864年12月、第一次長州征伐で長州藩は俗論派が藩政を握り幕府への恭順を進めていた。下関の功山寺で晋作は伊藤博文ら少数の同志と挙兵し、わずか八十数名で藩内クーデターを敢行した。三月で藩論を倒幕に転換させ、長州を再び倒幕の中心に押し戻した。明治維新の方向を決定づけた瞬間の一つとされる。

第六章 — 影響と遺産

晋作は享年二十七という早世にもかかわらず、明治維新の方向を決定づけた三つの遺産を残した。奇兵隊という身分を問わない軍事組織のモデルは明治新政府の徴兵制の前駆となり、功山寺挙兵は長州を倒幕に固定し、四境戦争での幕府軍撃退は江戸幕府の権威の実質的崩壊をもたらした。おもしろきこともなき世をおもしろく、の辞世は彼の生き様そのものとして繰り返し引用され続けている。

第七章 — 主な功績

  • [01]奇兵隊結成(1863)
  • [02]功山寺挙兵(1864)
  • [03]四境戦争(1866)
  • [04]上海視察記
  • [05]辞世の和歌

第八章 — 参考資料

原典・公的アーカイブ

  • 一次資料

    高杉晋作史料

    山口県文書館 所蔵

    晋作自筆書簡を含む長州藩関係文書

  • 学術文献

    高杉晋作

    一坂太郎 / 文春新書

    幕末長州研究の第一人者による評伝

  • 公的所蔵

    東行庵

    山口県下関市

    晋作菩提寺、関連資料の中心的所蔵館

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