保管文書
資料No. SA-0026
侍アーカイブ
大久保利通
Ōkubo Toshimichi
明治政府の重臣
大
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 大久保利通 |
|---|---|
| 英名 | Ōkubo Toshimichi |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1830–1878 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 家・役職 | 幕末志士 |
| 肩書 | 明治政府の重臣 |
第二章 — 経歴
1830年、鹿児島に生まれた。三筋離れた家で、二歳上の西郷隆盛と共に育った。彼が一生の宿敵にして同志となる男である。
1860年代を通じて改革派薩摩藩主・島津久光に仕え、1866年には薩長同盟の仲介に貢献し、1868年の明治維新で新政府の重鎮の一人となった。西郷は表向きの役割(近衛都督、江戸無血開城、新政府の顔)を担い、一方で大久保は制度の機械を組み立てた。1871年の廃藩置県、家禄処分、内務省の創設、徴兵制の導入である。
1873年、西郷の朝鮮出兵案を打ち砕いた派閥を率いた。両者の個人的決裂が西郷の辞職に繋がり、最終的に西南戦争に至った。大久保は1877年の反乱鎮圧を指揮した。
終戦後、一人で西郷の墓を訪ねたとされる。九か月後の1878年5月14日、登庁途上で、自らの階級の破壊の責任を問う元武士六人に暗殺された。
第三章 — 年表
1830鹿児島に生誕
1866薩長同盟の仲介に貢献
1868明治新政府の重鎮の一人となる
1871廃藩置県を主導
1873征韓論をめぐり西郷派を打ち砕く
1877西南戦争鎮圧を指揮
1878登庁途上で暗殺
第四章 — 名言
“新国家がそれを築いた者を打ち砕かねばならぬなら、私はその代を払う”
第五章 — 逸話
[A]燃やした手紙
城山での西郷の死後、大久保は四半世紀にわたる友情と政治的同盟の間に西郷から受け取った私的書簡の束を取り出したとされる。秘書たちの前でそれを一通ずつ読み、すべて燃やした。中身については何も語らなかった。彼自身、九か月後に殺された。
第六章 — 影響と遺産
大久保は近代日本行政国家の設計者である。彼が実質的支配の十年で課した制度設計、すなわち中央集権行政、職業官僚制、徴兵制、財務省主導の歳入管理は、その後のあらゆる近代日本政府の鋳型となった。十九世紀の偉大な国家建設者として、ビスマルクやカヴールと並べて評価される。国際的には、より華やかな宿敵・西郷ほど知られていない。
第七章 — 主な功績
- [01]薩長同盟(1866)
- [02]廃藩置県(1871)
- [03]岩倉使節団(1871–1873)
- [04]西南戦争鎮圧(1877)
第八章 — 参考資料
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