資料No. SA-0022
侍アーカイブ
徳川慶喜
Tokugawa Yoshinobu
徳川幕府第十五代・最後の将軍
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 徳川慶喜 |
|---|---|
| 英名 | Tokugawa Yoshinobu |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1837–1913 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 家・役職 | 将軍 |
| 肩書 | 徳川幕府第十五代・最後の将軍 |
第二章 — 経歴
1837年、水戸徳川斉昭の七男として江戸に生まれた。水戸学派の改革派思想のもとで育ち、1847年に一橋家を継いだ。1850年代から60年代にかけての幕府の政治危機を通じて頭角を現し、1866年に二十九歳で第十五代将軍となった。
一世紀以上ぶりの最年少将軍であり、就任時から幕府の崩壊を見越しての就任であった点で唯一の将軍である。在職十四か月で薩摩・長州との内戦が現実となる中、慶喜は最も重大な決断を下した。1867年11月9日、慶喜は政権を朝廷に返上した。
新たな立憲政府が発足した時に徳川家が国会の主要構成員として残ることを期待していた。坂本龍馬の構想がほぼそのまま実現されるはずだった。だが薩摩・長州が支配する朝廷は徳川領を没収すると宣言した。
慶喜は戦わぬ道を選び、江戸城を引き渡した。以後四十五年、私人として暮らした。1913年に没した。
明治維新の登場人物のほぼ全員より長く生きた。写真家、油絵画家、自転車愛好家としても記憶される。
第三章 — 年表
第四章 — 名言
“もし戦が日本人同士の間に起こるなら、私はその原因にはなりたくない”
第五章 — 逸話
[A]西洋服の写真
隠居後の慶喜は熱心なアマチュア写真家、油絵画家、自転車愛好家となった。1872年、三十五歳の彼が三つ揃いのスーツを着て撮らせた写真は、当時としては衝撃的なイメージである。五年前まで将軍だった男が、ボストンの銀行家のような格好でカメラに微かに微笑んでいる。
第六章 — 影響と遺産
慶喜の権力放棄は日本史上最も過小評価されている政治決断である。武力で幕府を守らない選択をすることで、彼は同時代のアメリカ南北戦争(1861–1865)規模の内戦を防いだ。明治維新後、引き渡した国が立憲国家、産業強国、日露戦争の勝者となるのを彼は見届けた。徳川家は新たな華族制度のもとで存続を許された。
第七章 — 主な功績
- [01]第十五代将軍就任(1866)
- [02]大政奉還(1867)
- [03]江戸城無血開城(1868)
- [04]私人として四十五年(1868–1913)