関連レポート -- 公開日: 2026-05-26
五稜郭——最後の侍共和国が死んだ場所
1869年5月、北海道函館の星型の城塞で、土方歳三と七千の旧幕府軍が敗北した。日本最初で最後の共和国は七か月の寿命だった。
1869年5月11日午前、函館湾の北側、星型の城塞・五稜郭の外で、土方歳三は馬を駆って一本木関門の戦線に向かっていた。新政府軍は既に弁天台場を包囲し、函館市街を制圧していた。土方は五稜郭への撤退路を確保するため、わずか数十騎の遊撃隊を率いて関門に突進した。撤退路は守られた。土方自身は腹に銃弾を受けて落馬し、即死だった。三十四歳。
蝦夷共和国の七か月
土方が戦死した政体は、日本史上唯一の武装共和国だった。1868年10月、戊辰戦争に敗れて江戸を追われた旧幕臣の榎本武揚は、艦隊と二千五百の兵で蝦夷地に上陸、12月までに北海道全土を制圧した。1868年12月15日、士官級全員の入札選挙で榎本が総裁、土方が陸軍奉行並として選出された。前近代日本初の選挙による政府である。共和国はフランス・イギリス・アメリカに国家承認を打診し、英仏は事実上の中立を表明した。フランスは旧幕府を支援していた将校団ブリュネらを残留させ、土方は彼らから西洋式戦術の指導を受けた。
1869年春の崩壊
新政府は1869年3月、艦隊と七千の兵で蝦夷攻略を開始した。共和国軍の主力艦・開陽丸は前年11月に難破して既に失われていた。海戦で新政府艦隊・甲鉄を奪取しようとしたミヤコ湾海戦も4月に失敗。陸戦は二股口・松前と各地で交戦したが、兵力差三対一が縮まらなかった。5月11日の総攻撃で函館市街が陥落、土方が戦死し、5月18日に榎本以下全員が降伏した。共和国の寿命は1868年12月から1869年5月まで、わずか七か月だった。
なぜ侍の最期の場所だったのか
五稜郭は単に最後の戦場ではなかった。武士が政治的階級として制度的に存在した最後の地理空間である。1869年6月の版籍奉還、1871年7月の廃藩置県、1876年3月の廃刀令まで、武士の解体は明治政府の中心政策だった。蝦夷共和国は、武士という階級が自らの規範で結成した最後の主権主張だった。土方歳三は、その主張を最後の瞬間まで武士の作法で守った最後の指揮官の一人として、明治以降の小説・映画・漫画で繰り返し描かれることになる。
現在の五稜郭
五稜郭は現在、函館市の特別史跡として整備されている。星型の堀と土塁は榎本軍が降伏した1869年とほぼ同じ姿で残り、隣接する五稜郭タワーから全景を見下ろせる。土方の最期の地・一本木関門跡には記念碑が立つ。海外からの来訪者の多くは、星型城塞のヨーロッパ的造形と「最後の侍共和国」の物語の組み合わせに惹かれてここを訪れる。
"今日の知らせは、決して悪いものでなかろう。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
蝦夷政府関係文書
北海道立文書館 所蔵
榎本武揚率いる蝦夷共和国の政府文書原本
- 学術文献
新選組
大石学 / 中公新書
近年の史料研究を踏まえた標準的な新選組史、函館戦争を含む
- 公的所蔵
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