役割別
政治家
近代日本の国家を築いた政治指導者——明治憲法の起草者から幕末海軍の創始者まで。
収録人物 3 名
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江戸無血開城——西郷と勝が百万の街を救った日
1868年3月14日、勝海舟と西郷隆盛が薩摩屋敷で会談した。翌日の江戸城総攻撃を回避するための直接交渉だった。この一日の会談が、江戸百万の市民の生命と街の財産を戦火から守った。
咸臨丸——勝海舟がいかに日本の近代海軍を作ったか
1860年、勝海舟は咸臨丸の艦長として日本人だけで太平洋を渡った。長崎海軍伝習所での修学、咸臨丸の渡米、神戸海軍操練所の開設。勝海舟の生涯は日本の近代海軍の創設史そのものだった。
龍馬の師——勝海舟はいかに坂本龍馬を育てたか
1862年、土佐脱藩浪士・坂本龍馬は幕臣・勝海舟を斬りに来た。勝は龍馬と一晩語り合い、龍馬は刀を引いて勝の弟子となった。この一夜の出会いが、四年後の薩長同盟と大政奉還の起点となる。
駿府会談——山岡鉄舟が単身西郷に乗り込んだ日
1868年3月9日、山岡鉄舟は単身で官軍占領下の駿府に乗り込み、西郷隆盛と会談した。江戸無血開城の枠組みはこの一日の駿府会談で定まり、五日後の勝・西郷会談に繋がった。歴史を動かした無位無官の幕臣の一日。
初代総理大臣——伊藤博文が四十四歳で日本の首班となった日
1885年12月22日、伊藤博文は初代内閣総理大臣に就任した。四十四歳。世界最年少クラスの首相だった。松陰の弟子だった一農民の子が、二十八年で近代日本の頂点に立った異例のキャリアの背景には何があったのか。
明治憲法起草——伊藤博文がいかに国家の設計図を書いたか
1889年2月11日、大日本帝国憲法が発布された。起草の中心は伊藤博文。1882年からの欧州憲法調査、ベルツ・モッセら独墺学者との議論、井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎ら起草班との共同作業。一人の政治家が国家の設計図を書いた七年の記録。
ハルビン駅——伊藤博文が韓国独立運動家に撃たれた日
1909年10月26日、ハルビン駅で初代韓国統監・伊藤博文は韓国独立運動家・安重根に撃たれ六十八歳で没した。日韓併合の前夜に起きたこの暗殺事件は、日韓関係の最も深い歴史的争点として現代まで続いている。
1838年、大阪に開かれた適塾——一人の蘭学者が始めた学問共同体
1838年、緒方洪庵は大阪船場に蘭学塾『適塾』を開設した。二十九歳の若き蘭学者が始めた小さな私塾は、以後二十五年で幕末から明治初期の日本の近代化を担う三千名の門下生を輩出することになる。
1849年の種痘——洪庵が日本の公衆衛生を始めた日
1849年、緒方洪庵は大阪で牛痘接種(種痘)を本格開始した。天然痘という人類最大の疫病に対する予防接種の日本での組織的導入は、日本の公衆衛生史における画期的事業となった。
適塾三千の門下生——福沢諭吉・大村益次郎が生まれた場所
適塾は洪庵の生涯で三千名を超える門下生を送り出した。福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内、佐野常民、長与専斎。幕末から明治初期の日本の近代化を担った人材群のほぼ全員が、この大阪の小さな私塾を経由していた。

