保管文書
資料No. SA-0020
侍アーカイブ
真田信之
Sanada Nobuyuki
松代藩祖、真田家の長兄
真
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 真田信之 |
|---|---|
| 英名 | Sanada Nobuyuki |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1566–1658 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 17世紀 |
| 家・役職 | 大名 |
| 肩書 | 松代藩祖、真田家の長兄 |
第二章 — 経歴
1566年、信濃国に真田昌幸の長男として生まれた。父の戦に幼い頃から従い、1586年には徳川家康の取り計らいで本多忠勝の娘・小松姫を娶った。この縁組により真田家の正系を徳川と結ぶ布石が打たれた。
1600年の関ヶ原で真田家が分裂した時、信之は東軍を選んだ。父・昌幸と弟・幸村が西軍として上田に残ったのは、家を残すために家系を分けるという父の決定によるものである。信之は父の蟄居後、上田を継ぎ、1622年に十万石の松代藩へ移封された。
三十六年間にわたり松代藩を治めた。1614年から1615年の大坂の陣では東軍として出陣し、赤備えの弟と一度も戦場で対峙することなく徳川方として戦った。徳川四代の将軍に仕え、九十二歳で没した。
徳川期最長寿の有力大名である。
第三章 — 年表
1566信濃国に生誕
1586本多忠勝の娘・小松姫を娶る
1600関ヶ原で東軍を選び、父・弟と袂を分かつ
1614大坂の陣で東軍として出陣
1622松代藩十万石へ移封
1656隠居
1658九十二歳で没
第四章 — 名言
“家とは長い物語である。弟は華やかな一章を書いたが、私は本一冊を書く必要があった”
第五章 — 逸話
[A]家が分かれる夜
関ヶ原の旗色を決める前夜、昌幸・信之・幸村は評定を持ったとされる。『真田記』は、父が息子たちにこう告げたと記す。「家が残らねばならぬ。一人は東に、一人は西に、勝者が決まるまでどちらが正しいかは誰にも分からぬ」。信之の涙はその夜、明け方まで床に落ちていたという。
第六章 — 影響と遺産
信之は反逆者として死んだ父・弟と異なり、真田の家系を保った。松代藩は二百五十年の徳川期を真田として通し、江戸文化に学者・画家・改革者を輩出した。「華やかに散る弟と、忍耐で生き残る兄」という対比は、日本の家門忠誠物語の中心的モチーフのひとつとなった。2016年のNHK大河『真田丸』は信之を初めて幸村と並ぶ重みで描いた。
第七章 — 主な功績
- [01]関ヶ原の方針決定(1600)
- [02]大坂の陣(1614–1615)
- [03]松代藩政(1622–1656)
- [04]松代真田家文書の整備
第八章 — 参考資料
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