1100–1185
源平
平安末期と源平合戦——武士が貴族から国を奪い取った最初の時代。
収録人物 5 名
この時代の人物
この時代の記事
弁慶の立ち往生——日本の忠義神話の原点
1189年、奥州の小さな橋の上で、ひとりの僧兵が主君の最期の退却を守って戦った。彼は立ったまま死んだ、その死の像はその後八世紀にわたって、すべての日本の忠誠物語の鋳型となった。
千早城——三百で十万を釘付けにした男
1333年春、楠木正成は山岳の小城を三百対十万の戦力差で守り抜いた。三か月以上の籠城が鎌倉幕府の財政を破綻させ、各地の反乱を引き起こし、百四十八年続いた北条政権を倒した。
なぜ鎌倉だったのか——頼朝が「永続する武家政権」を発明した
1192年に源頼朝が将軍の称号を取った時、彼は国家権力を持った最初の武士ではなかった。彼が初めてだったのは、その職を恒常的なものにしたことである。1180年から1199年までの彼の選択が、その後676年の日本の運用基盤を定めた。
尼将軍——北条政子が公式に統治を許されぬまま国を運営した二十六年
1199年から1225年まで、北条政子は鎌倉幕府を実質的に運営した。最初は息子たちを通じて、後には自身の名で「尼将軍」として。彼女は日本武家史における女性政治権力の創始的人物である。
二人の天皇——足利尊氏が日本を六十年分裂させた決定
1336年、自身の幕府を正統化するため、足利尊氏は京都に対立天皇を擁立した。元の天皇は吉野に逃げた。日本はその後五十六年間、対立する二つの皇統を抱えた。その分裂の政治的構造が、戦国に至る国の形を決めた。
存在したかも分からぬ女——巴御前と女武者の伝統
巴御前は『平家物語』に源平合戦最大の女武者として登場する。当時の記録には現れない。日本中世史学が最終的に存否を判定できぬ問いだが、彼女が築いた伝統は紛れもなく実在する。
龍馬の師——勝海舟はいかに坂本龍馬を育てたか
1862年、土佐脱藩浪士・坂本龍馬は幕臣・勝海舟を斬りに来た。勝は龍馬と一晩語り合い、龍馬は刀を引いて勝の弟子となった。この一夜の出会いが、四年後の薩長同盟と大政奉還の起点となる。




