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鞍馬から奥州へ——牛若丸はいかに義経となったか
父・義朝の敗死から二十年。京都の寺に預けられた牛若丸は、十六歳で鞍馬を出て奥州の藤原秀衡を頼った。頼朝の挙兵で歴史の表舞台に躍り出るまでの、記録の少ない少年時代を辿る。
1159年12月、平治の乱で源義朝は敗死した。翌1160年初め、常盤御前は雪の中を三人の幼い息子を連れて逃げた。平家物語が伝えるこの場面が、日本文学史における「常盤逃避行」の原型である。
三男は牛若、数え二歳。後の源義経。
母子は間もなく捕らえられ、清盛のもとに引かれる。子らは仏門に入れる条件で命を助けられた。というのが平家物語の筋である。牛若丸は、七、八歳の頃、鞍馬寺(京都北山)に預けられた。
鞍馬の少年
鞍馬寺の伝承では、少年期の義経は僧兵たちと剣術を学び、夜な夜な山中で天狗と剣を交わしたとされる。これらの物語の多くは後世の伝承で、史料的裏付けは薄い。確かなのは、仏門に入るはずの寺を離れ、俗世に戻る決意を彼が下した、という結果だけである。
奥州への道
十六歳頃、義経は鞍馬を出奔した。金売り吉次に伴われて奥州平泉へ向かった、というのが吾妻鏡以下の伝承である。目的地は藤原秀衡。奥州藤原氏三代目、金と馬で栄えた東北の実力者である。
清盛の平家の監視が及ばない、日本で唯一と言ってよい「別の世界」が、平泉にはあった。
平泉での義経の日々は、記録がほとんど残っていない。狩り、馬、僧との学問、地方武士との交流。そういうものだったのだろうと想像されるだけである。歴史が再び彼を捉えるのは、二十歳の頃、兄・頼朝が伊豆で挙兵したという知らせが平泉に届いた瞬間である。
初めての兄
その時、義経は北関東を経て頼朝のもとへ馳せ参じた。以後の四年で日本の勢力図を書き換えることになる男は、二十歳の初対面まで、兄と一度も会ったことがなかった。
"金売り吉次の後に付き、東海道を経て奥州平泉に到る。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
吾妻鏡
鎌倉幕府編纂
鎌倉幕府の公式編纂史書、義経の事績を年代順に記録
- 学術文献
源義経
元木泰雄 / 吉川弘文館(人物叢書)
義経の少年期を含む生涯を実証的に検討
- 公的所蔵
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