保管文書
JPN

資料No. SA-0083

侍アーカイブ

岩崎弥太郎

Iwasaki Yatarō

三菱財閥の創業者

第一章 — 人物概要

氏名岩崎弥太郎
英名Iwasaki Yatarō
出身日本
生没年1835–1885
性別男性
世紀19世紀
家・役職実業家
肩書三菱財閥の創業者

第二章 — 経歴

1835年(天保五年)、土佐国安芸(現在の高知県安芸市)の地下浪人の家に生まれる。地下浪人とは、郷士の株を売って武士身分を失った、農民同然の最下層の家格だった。弥太郎は貧窮の中で学問に励み、その才を吉田東洋に見出される。後藤象二郎に登用され、土佐藩の商務組織で長崎や大坂の貿易実務を担った。

この頃、坂本龍馬(本サイト id 8)の海援隊とも接点を持つ。明治維新後、廃藩置県で藩営事業が行き場を失うと、弥太郎はこれを引き継いで海運業に乗り出した。1873年(明治六年)、三菱商会を興す。1874年の台湾出兵、1877年の西南戦争で政府の軍事輸送を一手に引き受け、巨利を得て海運界の覇者となった。

政府の保護のもと、三菱は日本最大の海運会社へと急成長する。だが1880年代、政府系の共同運輸会社との激しい運賃競争が弥太郎を苦しめた。1885年(明治十八年)2月、その競争のさなかに胃癌で死去。享年五十。弥太郎の築いた三菱は、弟・弥之助や息子・久弥に受け継がれ、日本を代表する巨大財閥へと発展した。

第三章 — 年表

1835土佐安芸の地下浪人の家に生誕
1867土佐藩の長崎商会で貿易実務を担う
1873三菱商会を興す
1874台湾出兵の軍事輸送を担う
1877西南戦争の輸送で巨利を得る
1885海運競争のさなかに病没、享年五十

第四章 — 名言

武士の株さえ買えぬ家に生まれた。ならば銭の力で、誰にも負けぬ身代を築いてみせる。

-- 弥太郎の立身の志として後世に伝わる(趣旨)

第五章 — 逸話

[A]地下浪人からの出発——最下層からの立身

弥太郎の生まれた岩崎家は、地下浪人と呼ばれる家格だった。かつて郷士だった家が、貧窮のあまり武士の身分を売り払い、農民同然に落ちぶれた、土佐の身分制の最下層である。弥太郎は幼い頃から、この出自の屈辱を骨身にしみて味わった。

青年期には投獄されるという不遇も経験している。だが彼は、貧しさと身分の低さを、成り上がりへの燃えるような執念に変えた。学問で吉田東洋に才を認められ、後藤象二郎に登用されると、土佐藩の貿易実務でめきめきと頭角を現す。

武力や家柄ではなく、商才と算盤で世を渡るその生き方は、身分が全てを決めた封建社会への痛烈な逆襲でもあった。最下層に生まれた男が、やがて日本最大の富を築く。弥太郎の生涯は、実力が身分を覆す明治という新時代を、最も鮮やかに体現している。

第六章 — 影響と遺産

岩崎弥太郎は、土佐の最下層武士から身を起こし、一代で三菱財閥の基礎を築いた明治日本を代表する実業家である。武士の身分すら失った地下浪人の家に生まれた弥太郎は、幕末から明治への激動を好機と捉え、海運業で巨大な富を築いた。西南戦争などの政府の軍事輸送を担うことで急成長した三菱は、政商として批判もされたが、同時に近代日本の海運と物流の基盤を作った。

弥太郎が創業した三菱は、海運から鉱業・造船・銀行・商事へと事業を広げた。弟・弥之助、息子・久弥、甥・小弥太へと受け継がれ、三井と並ぶ日本最大級の財閥へと発展する。その系譜は、現代の三菱グループとして日本経済の中枢に連なっている。同じ土佐郷士の出身である坂本龍馬(本サイト id 8)が政治の変革者だったとすれば、弥太郎は経済の変革者だった。

長宗我部元親(本サイト id 79)以来の土佐に根づいた実力主義の気風が、身分を覆す弥太郎のような人物を生んだとも言える。高知県安芸市には弥太郎の生家が保存され、この地から日本経済を動かした男の原点を今に伝えている。

第七章 — 主な功績

  • [01]三菱商会の創業(1873)
  • [02]政府軍事輸送の請負による海運覇権
  • [03]日本郵船へと連なる海運網の構築
  • [04]鉱業・造船・金融への事業拡大
  • [05]三菱財閥の基礎確立

第八章 — 参考資料

原典・公的アーカイブ

  • 一次資料

    岩崎弥太郎日記

    弥太郎自身の記録

  • 学術文献

    企業家たちの挑戦

    宮本又郎 / 中央公論新社

    岩崎弥太郎ら明治の企業家を検討

  • 公的所蔵

    岩崎弥太郎生家

    高知県安芸市

    弥太郎が生まれ育った地下浪人の家

    アーカイブを見る →

おすすめ書籍

資料終了 -- SA-00831 / 1 ページ