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三菱の創業——1873年、廃藩の混乱を好機に変えた
廃藩置県で藩営事業が行き場を失うと、岩崎弥太郎はその船を引き継いで海運業に乗り出した。1873年に興した三菱商会は、激動の時代を機会と見た一人の男の賭けから始まった。
1873年(明治六年)、大阪。岩崎弥太郎は、三菱商会を旗揚げした。その前身は、土佐藩の営んだ海運事業だった。1871年の廃藩置県で藩が消滅し、藩の船や事業は行き場を失っていた。
弥太郎はこれを個人の事業として引き受け、海運業へと転じたのである。旧藩の遺産を元手に、一人の男が近代的な会社を興す。三菱の歴史は、この賭けから始まった。
藩の遺産を継ぐ
維新後、多くの旧藩士が禄を失い、時代の変化に取り残されていった。だが弥太郎は違った。廃藩によって宙に浮いた土佐藩の船と事業を、巧みに自らのものとして引き継いだのである。
旧藩の負債を整理し、船を私財として確保するその手腕は、時に強引とも評された。だが弥太郎には、混乱を好機に変える才覚があった。誰もが途方に暮れる時代の転換点で、彼だけは次の一手を見据えていた。
海運への集中
弥太郎は、事業を海運一本に絞り込んだ。まだ鉄道網もない明治初期の日本で、大量の人と物を運ぶ海運は、近代化の生命線だった。弥太郎は社名を三菱商会と改め、船を増やし、航路を広げていく。
旧来の商家とは異なる近代的な会社組織を築こうとした点に、弥太郎の先進性があった。三菱のスリーダイヤの商標も、この頃に生まれている。弥太郎は、日本の物流を担う巨大企業の礎を、着実に築き始めていた。
国家と結ぶ
弥太郎の飛躍を決定づけたのは、新政府との結びつきだった。近代国家を作ろうとする明治政府にとって、信頼できる海運力は不可欠だった。弥太郎はその需要を的確に捉え、政府の求めに応じて船を動かした。
国家の近代化事業に自らの事業を組み込むこの戦略が、三菱を一気に押し上げていく。混乱の時代を好機に変えた地下浪人の子は、いまや新生日本の物流を担う存在となりつつあった。
その先には、さらに大きな飛躍が待っていた。
"藩は消えても、船は残る。この船で、新しき世の物流を我が手に握る。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
岩崎弥太郎日記
三菱創業期の弥太郎の記録
- 学術文献
企業家たちの挑戦
宮本又郎 / 中央公論新社
三菱の創業過程を検討
- 公的所蔵
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