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地下浪人の子——最下層から身を起こした男
岩崎弥太郎は、武士の身分すら失った地下浪人の家に生まれた。貧窮と屈辱、投獄までも味わった青年は、その鬱屈を成り上がりへの執念に変える。身分が全てを決める世への、痛烈な逆襲の始まりだった。
1835年(天保五年)、土佐国安芸(現在の高知県安芸市)。岩崎弥太郎は、地下浪人と呼ばれる家に生まれた。地下浪人とは、かつて郷士だった家が貧しさのあまり武士の身分を売り払い、農民同然に落ちぶれた、土佐の身分制の最下層である。
生まれた時から、弥太郎は身分の低さという屈辱を背負っていた。だがこの屈辱こそが、後に日本最大の富を築く男を突き動かす原動力となっていく。
貧窮と投獄
弥太郎の少年期は貧しかった。だが学問への意欲は人一倍で、その才は早くから知られた。青年期には江戸へ遊学するも、父の負傷事件に連座して土佐へ呼び戻され、投獄されるという不遇も味わっている。
牢の中で、弥太郎は同房の商人から算術や商売の知恵を学んだとも伝わる。どん底の経験さえも、弥太郎は自らの糧に変えた。身分の低さと貧しさへの憤りが、彼の内に燃える野心を育てていった。
才を見出される
弥太郎の転機は、土佐藩の実力者・吉田東洋に学問の才を認められたことだった。東洋の門下で頭角を現した弥太郎は、東洋の甥・後藤象二郎に登用される。後藤のもとで、弥太郎は長崎や大坂における土佐藩の貿易実務を担うようになった。
藩の船や物産を動かし、外国商人と渡り合う。この実務の中で、弥太郎は商才を存分に発揮し、経済で身を立てる道を見出していった。
身分への逆襲
武力でも家柄でもなく、商才と算盤で世を渡る。弥太郎の生き方は、身分が全てを決めた封建社会への痛烈な逆襲だった。最下層に生まれたがゆえに、失うものは何もない。あるのは、成り上がってやるという燃えるような執念だけだった。
幕末から明治へ、身分の秩序が崩れゆく激動の時代は、弥太郎のような男にこそ好機を与えた。地下浪人の子は、やがてその執念を武器に、日本の経済史に名を刻む巨大な存在へと駆け上がっていく。
"武士の株さえ買えぬ家に生まれた。ならば銭の力で、誰にも負けぬ身代を築いてみせる。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
岩崎弥太郎日記
弥太郎自身の若年期の記録
- 学術文献
企業家たちの挑戦
宮本又郎 / 中央公論新社
弥太郎の出自と立身を検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート