資料No. SA-0080
侍アーカイブ
日野富子
Hino Tomiko
室町幕府八代将軍・足利義政の正室
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 日野富子 |
|---|---|
| 英名 | Hino Tomiko |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1440–1496 |
| 性別 | 女性 |
| 世紀 | 15世紀 |
| 家・役職 | 大名 |
| 肩書 | 室町幕府八代将軍・足利義政の正室 |
第二章 — 経歴
1440年(永享十二年)、公家・日野家に生まれる。日野家は代々足利将軍家に妃を出す名門だった。1455年頃、室町幕府八代将軍・足利義政の正室(御台所)となる。当初、義政に実子がなかったため弟の義視を後継に定めていたが、1465年に富子が実子・義尚を産むと、我が子を将軍位につけようとして情勢が一変した。
義視を推す細川勝元と、義尚を推す富子・山名宗全の対立は、諸大名の権力争いと結びつき、1467年(応仁元年)に応仁の乱が勃発する。十一年に及ぶこの大乱で京都は焦土と化した。富子は関所の設置や米の投機、大名への高利貸しによって莫大な富を蓄え、後世『悪女』『守銭奴』と非難された。
しかし近年の研究では、乱で疲弊した幕府財政を支え、朝廷や公家の窮乏を救い、乱の終息にも尽力した現実的な政治家としての側面が再評価されている。1489年(長享三年)、将軍となった義尚が近江への出陣中に二十五歳で病没した。母の執念で将軍にした我が子に先立たれたのである。
富子は1496年(明応五年)に没した。享年五十七。
第三章 — 年表
第四章 — 名言
“義尚を将軍にと、この身を鬼と罵られても厭わなんだ。その子に先立たれて、何が残ろう。”
第五章 — 逸話
[A]悪女の汚名——蓄財の実像
日野富子は長く、私腹を肥やした強欲な『悪女』として語られてきた。関所を設けて通行税を取り、米相場で投機を行い、東西両軍の大名にまで高利で金を貸した、と。確かに富子は莫大な富を蓄えた。だが近年の研究は、その富の使い道に光を当てている。
応仁の乱で幕府の財政は破綻し、朝廷や公家も窮乏していた。富子はその蓄えから、貧窮した天皇の即位費用や内裏の修理費を援助し、荒廃した京の秩序を金の力で下支えした。乱の終息に向けて諸大名の間を金銭で調停したとも伝わる。
男たちが戦火で京を焼く中、富子は現実的な財政感覚で幕府と朝廷を延命させた。『悪女』の汚名は、権力をふるう女性への後世の偏見が多分に混じった評価だったのである。
第六章 — 影響と遺産
日野富子は、応仁の乱という日本史上屈指の大乱の中心にいた女性として、長く『悪女』の代名詞とされてきた。我が子・義尚を将軍にせんとする母の執念が乱の一因となったことは否めない。だが近年の歴史学は、その一面的な悪女像を大きく修正している。乱で崩壊した幕府財政を蓄財によって支え、朝廷の窮乏を救い、乱の終息にも現実的に動いた。
男性の武将たちが戦いに明け暮れる時代にあって、富子は金融と交渉で秩序を保とうとした稀有な実力者だった。鎌倉の北条政子(本サイト id 24)が武家政権の草創を支えた女性であったように、富子は室町の動乱期を財政面で支えた女性である。その評価が『悪女』から『実力者』へと転換しつつあることは、歴史における女性の役割の見直しそのものを映している。
応仁の乱で焼けた京都は、富子らの尽力もあって徐々に復興し、東山文化を育んだ。相国寺など京の寺社に、富子が生きた室町の記憶が残る。
第七章 — 主な功績
- [01]足利義政の御台所として幕政に関与
- [02]実子・義尚の将軍擁立
- [03]幕府財政の財源確保
- [04]朝廷・公家への財政援助
- [05]応仁の乱後の京都復興への関与
第八章 — 参考資料
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
大乗院寺社雑事記
尋尊の日記、富子と応仁の乱の動向を記す
- 学術文献
応仁の乱
呉座勇一 / 中公新書
富子と乱の関係を最新研究で検討
- 公的所蔵
おすすめ書籍
第十章 — 関連レポート
SA-RPT
応仁の乱——1467年、我が子を将軍にせんとする母の執念が京を焼いた
実子・義尚を将軍にしたい日野富子と、既に後継と定められた義視。この足利将軍家の世継ぎ争いが、諸大名の権力闘争に火を付けた。十一年に及ぶ応仁の乱で、京都は焦土と化した。
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悪女か、救い手か——富子が蓄えた富の実像
日野富子は関所や米、金貸しで莫大な富を蓄え、後世『守銭奴の悪女』と罵られた。だがその富は、戦乱で破綻した幕府と朝廷を支える財源でもあった。悪女の汚名の裏の、もう一つの顔。
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義尚の死——1489年、母が将軍にした我が子は陣中に果てた
母・富子が執念で将軍位につけた足利義尚は、近江への出陣中に二十五歳で病没した。我が子のために悪女の汚名すら厭わなかった富子に残されたのは、先立たれた母の哀しみだけだった。

