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賤ヶ岳の退き陣——1583年、利家は旧主か盟友かを選んだ
1583年、賤ヶ岳。前田利家は柴田勝家方として布陣しながら、戦の最中に兵を退いた。この離脱が勝家の敗北を決定づけた。長年仕えた勝家か、旧知の秀吉か。利家は生涯で最も重い選択を、戦場のただ中で下した。
1583年(天正十一年)4月、近江・賤ヶ岳(現在の滋賀県長浜市)。前田利家は柴田勝家の軍の一翼として、羽柴秀吉(本サイト id 2)方と対峙していた。だが戦いが激しさを増す最中、利家は突如として兵をまとめ、戦線を離脱して越前へ退いた。
要の位置にいた利家の離脱に、勝家軍は総崩れとなる。旧主を見限るその背に、利家自身の断腸の思いがあった。
板挟みの立場
本能寺で信長が斃れた後、織田家の実権は羽柴秀吉と柴田勝家が争った。利家は北陸で勝家の与力を務めており、勝家とは長年の主従に近い間柄だった。一方の秀吉とは、若い頃から同じ信長の家臣として苦楽を共にした竹馬の友でもある。
どちらも捨てがたい。織田の遺臣たちが二つに割れる中、利家はその亀裂の真上に立たされていた。
戦場での決断
賤ヶ岳の趨勢が秀吉方へ傾くのを見て、利家は勝家のもとを離れる決意を固めた。勝てぬ戦に殉じて前田の家を滅ぼすか、家を残して友の手を取るか。利家は後者を選んだ。退却する利家の陣を、敗走する勝家が通りかかり、恨み言も言わず『これまでよ』と別れを告げたと伝わる。
かつての主を死地に残し、利家は自らの領国へ馬を返した。その胸中は、生涯忘れられぬものとなった。
友を取った代償
勝家は越前北ノ庄に追い詰められ、妻・お市の方(本サイト id 63)と共に自害した。利家は秀吉に降り、以後その最も信頼される重臣となって加賀・能登・越中を領する大大名へと登っていく。
だが旧主を見捨てた記憶は、律義者と評された利家の胸に、生涯消えぬ棘として残った。家を守るという武将の現実と、義理という武士の理想。利家はこの日、前者を選び、その重さを背負って生きた。
"勝家殿を死地に残し、我は家を取った。この選び、正しかったと誰が言えよう。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
太閤記
賤ヶ岳の戦いと利家の離脱を伝える
- 学術文献
前田利家
岩沢愿彦 / 吉川弘文館(人物叢書)
賤ヶ岳での利家の去就を検討
- 公的所蔵
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