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虎松から直政へ——直虎が守った井伊家の未来
1561年生まれの井伊虎松は、父・直親の死により孤児となった。井伊家伝記の伝える、直虎の保護下での虎松の成長と、1575年の徳川家康への出仕までを辿る。
井伊直虎井伊直政徳川家康
1561年、遠江国井伊谷、井伊直親の子として虎松が生まれた。翌1562年、父・直親は今川氏真に討たれ、生後間もない虎松は孤児となった。次郎法師(井伊直虎)の保護下に入る。
寺での成長
虎松は今川氏の追及を逃れるため、鳳来寺(現在の愛知県新城市)などに預けられて育ったと井伊家伝記は伝える。井伊家伝記による経緯は伝承の要素を含むが、幼少期の虎松が井伊谷を離れて外で育った事実自体は、彼が後に成人して井伊谷に戻る経緯から追認できる。
徳川出仕(1575)
1568年、井伊家は今川から離反し徳川家康の傘下に入った。1575年、十五歳の虎松は家康に出仕する。この出仕を可能にしたのは、井伊谷での庇護者(直虎とされる)が家康との関係を築いていたためである。
虎松は井伊直政と名を改め、以後家康の生涯を通じて仕えた。
1582年、直虎の死
井伊家伝記は、直虎が1582年(天正十年)に没したと伝える。この年、武田家が滅亡し、井伊直政は武田の精鋭部隊「赤備え」を継承する。井伊直政の徳川内での地位が確立した年に、直虎はこの世を去った。
井伊谷で始まった井伊家再興の物語は、直政の代へと引き継がれた。
直虎が実在の女性であったか、男性であったかは、なお論争の中にある。ただし、井伊虎松が孤児となった1562年から、直政として徳川に出仕した1575年までの十三年間、井伊谷で誰かが虎松を守り育てた事実は動かない。
その庇護者の名を、井伊家伝記は「直虎」と記す。
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
井伊家伝記
井伊家伝来
井伊虎松(後の直政)の育成経緯を伝える
- 学術文献
井伊直虎の生涯
小和田哲男 / 洋泉社
直虎の虎松保護の経緯を実証的に検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート
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