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秀頼の後見役——甲斐姫の後半生と大坂の陣
1593年、豊臣秀頼が生まれた。太閤記は、甲斐姫が秀頼の後見役として仕えたと伝える。1615年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後の甲斐姫の消息は、途絶える。
甲斐姫豊臣秀頼大坂の陣
1593年(文禄二年)、豊臣秀頼が生まれた。母は淀殿。秀吉五十七歳。晩年の嫡男の誕生は豊臣政権の継承問題を根本から変えた。この頃、秀吉の側室であった甲斐姫は二十三歳前後だった。
秀頼後見役という伝承
太閤記など江戸期成立の史料は、甲斐姫が秀頼の後見役として仕えたと伝える。ただしこの「後見役」は正式な官職ではなく、秀頼の日常生活に関わる女性侍としての位置と解釈される。
同時代の一次史料での裏付けは限定的である。
1598年秀吉没後
1598年、秀吉は伏見城で没した。享年六十二。豊臣政権は五大老・五奉行の合議制に移行、秀頼は六歳で家督を継いだ。甲斐姫は秀頼側の女性団の一人として大坂城に残ったと推定される。
ただしその後の彼女の動向を明示する一次史料は乏しい。
1615年、大坂夏の陣
1615年5月、大坂夏の陣で豊臣家は滅亡した。淀殿と秀頼は自害。大坂城落城時、甲斐姫は四十歳前後だったはずである。彼女の運命。落城時に城内にいたのか、既に他所にいたのか、いつ亡くなったのか。
は史料に残されていない。
甲斐姫の後半生は、戦国末期から江戸初期にかけての女性の記録の乏しさを象徴している。忍城の戦い(1590)で華々しく登場した女性が、大坂の陣(1615)で消息を絶つ二十五年間の記録は断片的でしかない。
埼玉県行田市の郷土博物館では、この乏しい記録から復元された甲斐姫の生涯が伝えられている。
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
太閤記
江戸期編纂
秀頼周辺の女性侍を含む豊臣家関係を伝える
- 学術文献
戦国の女性たち
小和田哲男 / 新人物往来社
豊臣家末期の女性の位置を実証的に検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート
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