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建長寺開山——時頼が鎌倉に植えた禅
1253年、時頼は鎌倉に日本初の本格的禅寺・建長寺を開いた。宋から招かれた蘭渓道隆を開山とし、以後の日本禅宗の中心地となる寺の始まりを辿る。
1253年(建長五年)、鎌倉。北条時頼は二十七歳。この年、鎌倉山内の地に、日本初の本格的禅宗寺院・建長寺(けんちょうじ)が開かれた。開山は宋から招かれた僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)。
日本の禅宗史における一つの起点である。
蘭渓道隆の招聘
蘭渓道隆(1213-1278)は南宋・涪州の禅僧で、1246年に来日した。日本の禅宗は栄西・道元により鎌倉初期に伝えられていたが、蘭渓は宋の本格的な臨済禅を直接持ち込んだ最初の高僧の一人である。
時頼は蘭渓に深く帰依し、鎌倉に本格的な禅寺を建立する構想を進めた。
建長寺の建立
建長寺は禅宗の伽藍配置の理念を厳密に踏襲した設計で、三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ「七堂伽藍」を形成した。日本の寺院建築における新様式で、以後の禅寺の模範となった。
時頼は自ら建立の主導に関わり、幕府の財政的支援と敷地確保を担った。武家政権の頂点にある執権が、宗教施設の建立にこれほど深く関与した例は珍しい。
武家と禅の結合
時頼が禅宗を保護した理由は複数ある。第一に、武家の精神性に禅の実践性・簡素性が合致したこと。第二に、宋との文化的接触の窓口として禅僧が機能したこと。第三に、既存の顕密仏教(天台・真言)の政治的影響から独立した宗派を必要としたこと。
時頼以降、鎌倉幕府と禅宗の結合は深まり、後の鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)の制度へと発展する。武家と禅の結合は、以後の武家文化の精神的基盤の一つとなる。
"宋の道隆を招き、鎌倉に禅寺を建つ。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
吾妻鏡
鎌倉幕府編纂
建長寺開山の記録を含む
- 学術文献
北条時頼
高橋慎一朗 / 吉川弘文館(人物叢書)
時頼の禅宗保護と鎌倉禅の成立を検討
- 公的所蔵
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