関連レポート
征夷大将軍——797年、武の名門から生まれた最初の英雄
797年、坂上田村麻呂は桓武天皇から征夷大将軍に任じられた。渡来系武人の家に生まれた田村麻呂は、後の武家政権が範とする『征夷大将軍』の称号を体現した最初の英雄となった。
797年(延暦十六年)、平安京。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じた。田村麻呂、四十歳前後。東北の蝦夷を平定するための遠征軍の総司令官である。この『征夷大将軍』の称号は、後に源頼朝(本サイト id 23)以下の武家政権が武門の最高位として範とすることになる。
その最初の体現者が、渡来系武人の家に生まれた田村麻呂だった。
武の名門・坂上氏
坂上氏は、大陸から渡来した東漢氏の流れをくむ武人の家系である。父・坂上苅田麻呂も武官として名を馳せた。田村麻呂はこの武の名門に生まれ、若くして武芸と統率に秀でた。
当時の朝廷は、東北の蝦夷との長い戦いに苦しんでいた。武門の実力者を求める時代が、田村麻呂という将器を歴史の表舞台へ押し上げた。
桓武天皇の東北経略
桓武天皇は、平安京遷都と並んで東北の蝦夷平定を国家事業とした。それまでの遠征はしばしば大敗を喫し、朝廷は有能な将を必要としていた。田村麻呂は副将として遠征に加わり、その軍才を認められて征夷大将軍に抜擢された。
天皇の信任を背景に、田村麻呂は朝廷の威令を東北へ及ぼす重責を担うことになる。
清水寺の建立
田村麻呂は武人であると同時に、深い信仰を持つ人物として伝わる。京都東山の清水寺は、田村麻呂が観音への信仰から建立に関わったと伝えられる。鹿狩りに訪れた田村麻呂が延鎮上人と出会い、殺生を悔いて寺を開いたという縁起が残る。
武と信仰の両面を備えた人物像は、後世に田村麻呂を武神・英雄として語り継ぐ土台となった。清水寺は現在も多くの参詣者を集める。
"夷を征するは、殺さんがためにあらず。民を安んぜんがためなり。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
日本後紀
田村麻呂の任官と経歴を記す正史
- 学術文献
坂上田村麻呂
高橋崇 / 吉川弘文館(人物叢書)
征夷大将軍任官の背景を検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート