関連レポート
父と従兄弟を失って——井伊家滅亡の危機と当主継承
1560年桶狭間、1562年今川による直親殺害。井伊家は二人の当主を三年で失った。井伊家伝記の伝える、寺から呼び戻された次郎法師(直虎)による家督継承の経緯を辿る。
1560年5月、桶狭間。井伊直盛は今川義元の陣にあって織田信長の奇襲を受け戦死した。二年後の1562年、直盛の後継となっていた井伊直親(従兄弟)も、今川氏真によって謀反の疑いをかけられ討たれた。
井伊家は三年で二人の男系当主を失った。
遠州井伊谷の位置
井伊谷は遠江国北部、山地に囲まれた小盆地で、井伊家はこの地の在地領主だった。当時、井伊家は今川氏の家臣として位置付けられ、今川氏の家中における政治的立場は不安定だった。
井伊直親の死は、井伊家の存続そのものを危うくした。
次郎法師の家督継承
井伊家伝記によれば、井伊直盛の一人娘は幼少期に出家し「次郎法師」の名で寺に入っていた。井伊家滅亡の危機に、この次郎法師が還俗して井伊直虎と名乗り、家督を継いだ。
女性が武家の家督を継いだ稀有な事例である。というのが伝統的な理解である。ただし前述の通り、この人物の性別自体は近年再検討されている。
井伊虎松(後の直政)の保護
1561年生まれの井伊虎松(直親の遺児)は、父の死後、直虎の保護下に置かれた。今川氏の追及を避けるため寺で育てられた。1568年、井伊家は今川から離反し徳川家康の庇護下に入る。
この転換の中で、虎松は徳川に出仕する道筋が開かれた。井伊家再興と、後の彦根藩三十万石への基礎は、この時期の井伊谷での判断の連続によって築かれた。
直虎の当主継承の経緯は、伝承と史料の狭間にある。ただし、井伊直政(本サイト id 48)が徳川出仕を果たし、井伊家が江戸期の譜代大名として続いた事実は動かない。
井伊谷で誰かが虎松を守り、徳川と結ぶ道を選んだ。その「誰か」が女性の直虎だったか、男性の氏経だったかは、なお議論の余地がある。
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
井伊家伝記
井伊家伝来
井伊家の家督継承の経緯を伝える主要典拠
- 学術文献
井伊直虎の生涯
小和田哲男 / 洋泉社
井伊家滅亡の危機と当主継承を実証的に検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート