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1849年の種痘——洪庵が日本の公衆衛生を始めた日
1849年、緒方洪庵は大阪で牛痘接種(種痘)を本格開始した。天然痘という人類最大の疫病に対する予防接種の日本での組織的導入は、日本の公衆衛生史における画期的事業となった。
1849年(嘉永二年)冬、大阪。緒方洪庵は自宅に『除痘館』を設け、天然痘予防接種(種痘)の本格的な実施を開始した。四十歳。オランダから輸入した牛痘苗を使い、まず適塾門下生とその家族から接種を始め、以後大阪の一般民衆に広げていった。
日本で組織的・継続的な種痘事業を確立した最初の医師の一人となった。
天然痘という疫病
江戸期の日本において、天然痘は最も恐れられた疫病だった。感染すると死亡率は約三十パーセント、生存者も瘢痕・失明などの後遺症を残した。年齢に関わらず罹患し、特に子供の生命を大量に奪った。
江戸期の乳幼児死亡率の高さの主要因の一つで、日本人の平均寿命を短くしていた最大要因だった。1798年にイギリスのジェンナーが牛痘接種を発表した後、その技術は徐々にアジアにも伝わってきていた。
洪庵の除痘館
1849年、洪庵はオランダから輸入した牛痘苗を入手し、自宅を『除痘館』として一般接種を開始した。当初、種痘に対する民衆の恐怖と疑念は強く、『牛の膿を人に入れる』行為への抵抗が大きかった。
洪庵は自らの子供を最初に接種する形で安全性を示し、徐々に信頼を獲得していった。以後数年で大阪の種痘接種者数は数千人に達した。
全国への波及と1858年の幕府認定
洪庵の除痘館は、以後日本各地に類似の種痘所が設立される契機となった。1858年、江戸に神田お玉ヶ池種痘所(後の東京大学医学部の起源)が設立され、幕府が種痘を公式に認定した。
洪庵の1849年からの十年間の努力が、幕府の政策転換を導いた。1870年代の明治政府による天然痘予防接種の全国義務化まで、洪庵が敷いたレールが日本の公衆衛生の基本を形作った。
現代への繋がり
天然痘は1980年にWHOにより世界根絶が宣言された、人類が根絶に成功した唯一の感染症である。日本での天然痘根絶(1955年最後の症例)に至る百年余の予防接種事業の起点に、1849年の洪庵の除痘館があった。
日本人の平均寿命は江戸期の三十歳前後から、現代の八十歳超まで飛躍的に延びた。この延伸の医学的基礎の一つが公衆衛生の確立で、洪庵の1849年の判断がその起点となった。
"牛痘を人に接すること、日本の民の命を救ふ道なり。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
適塾記録
適塾伝来
1849年の種痘事業関連記録
- 学術文献
緒方洪庵
梅溪昇 / 吉川弘文館(人物叢書)
種痘事業の医学史的意義を検討
- 公的所蔵
第十章 — 関連レポート