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無刀取——上泉信綱が素手で剣を奪った日

上泉信綱が大和柳生で柳生宗厳と対戦した際、最後の三度目の試合で信綱は素手で宗厳の刃を奪い取ったと伝わる。無刀取と呼ばれるこの技法は、新陰流の極意の一つとして後世に伝承された。

上泉信綱無刀取柳生宗厳

1565年頃、上泉信綱が廻国修行の途中で大和柳生庄を訪れた時のことである。当時すでに大和有数の剣士として知られていた柳生宗厳(後の石舟斎)は、信綱に試合を申し込み三度連続で敗れた。三度目の試合で、信綱は素手で宗厳の刃を奪い取ったと伝わる。無刀取(むとうどり)と呼ばれる技法の最古の記録の一つである。

無刀取とは何か

無刀取は、相手の剣を素手で奪い取る技法である。物理的には極めて高度な反射神経と判断力を要する。相手が振り下ろす刃を、刃のない部分(峰や柄)を狙って瞬時に掴み、相手の体勢を崩しながら剣を奪う動作である。失敗すれば自分の手が切り落とされる。理論として可能でも、実戦で使えるのは極めて限られた達人のみとされる。

信綱と宗厳の三度の試合

信綱と宗厳の三度の試合の経過は、後世の剣豪伝記で詳述されている。一度目は通常の試合で信綱が宗厳を破った。二度目で宗厳は別の技法を試したがやはり敗れた。三度目に宗厳は決死の覚悟で信綱に斬りかかったが、信綱は刃を素手で受け止め奪い取った。試合後、宗厳は信綱に弟子入りを請い、新陰流を継承する道に入った。後の柳生新陰流の起点である。

新陰流における無刀取

信綱の編んだ新陰流の体系の中で、無刀取は最高位の技法として位置づけられた。新陰流兵法目録の中で「無刀」は単なる物理的技法ではなく、剣の修行の最終段階で到達する境地として説かれている。剣を奪うことが目的ではなく、「剣を必要としない剣」という思想の体現としての技法だった。後の柳生宗矩の活人剣思想は、この信綱の無刀取の理論的延長線上にある。

柳生新陰流での継承

柳生宗厳から柳生宗矩へと継承された柳生新陰流の中で、無刀取は流派の最高極意として伝承された。江戸期の柳生新陰流の道場では、無刀取は最終段階の伝授とされ、容易には教えられなかった。徳川秀忠が柳生宗矩から無刀取を伝授された時、宗矩は将軍の覚悟を確認した上でようやく教えたと伝わる。一つの技法が四百五十年を超えて伝承された稀有な事例である。

"刀無くして刀を制す、これ新陰の極意なり。"
上泉信綱 新陰流兵法目録(要旨)

原典・公的アーカイブ

  • 一次資料

    新陰流兵法目録

    上泉信綱

    無刀取の理論を含む新陰流の技法書

  • 学術文献

    日本剣豪譚

    戸部新十郎 / 中央公論新社(中公文庫)

    信綱の無刀取の逸話を伝える

  • 公的所蔵

    鹿島神宮

    茨城県鹿嶋市

    戦国剣豪関係資料を含む

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第十章 — 関連レポート

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