関連レポート

忍城の戦い——1590年、二十歳の女武者が水攻めに抗した日

1590年、石田三成率いる二万余の秀吉軍が忍城を包囲し、水攻めを試みた。城主・成田氏長は小田原に詰めており、留守を守る者たちの中に二十歳前後の甲斐姫がいた。

甲斐姫忍城小田原征伐

1590年(天正十八年)6月、武蔵国忍城。石田三成の軍二万余が城を包囲し、周辺の川を堰き止めて水攻めを試みていた。城主・成田氏長は小田原城に籠もっており、忍城の留守を守る者たちの中に、氏長の長女・甲斐姫がいた。

二十歳前後。

忍城という城

忍城は水郷地帯に築かれた城で、堀と沼地が複雑に絡み合った天然の水城だった。石田三成が周辺の川を堰き止めても、水は思うように城内に流れ込まなかった。「忍の浮き城」の呼称は、水攻めに耐えたこの城の姿から生まれる。

甲斐姫の武装参加

成田記および関八州古戦録は、甲斐姫が武装して籠城戦に加わった事実を伝える。彼女は父の名代として、女性侍を率いて城の一角を守ったとされる。当時の女性が武装して籠城に加わる事例は例外的で、成田家の家風としての女性教育があったと推測される。

落城とその後

忍城は水攻めに耐え抜き、7月の小田原城落城後にようやく開城した。落城後、甲斐姫の武勇と美貌が秀吉に伝わり、秀吉は彼女を側室として召し上げた。と成田記は伝える。「関東一の美女」の呼称はこの時期に生まれたとされるが、江戸期の物語化の要素を含む。

忍城の戦いは、豊臣秀吉の小田原征伐という大戦役の中の一つの籠城戦だった。甲斐姫の武装参加は、戦国末期の女性が籠城戦の主要な担い手となった稀有な例として、現代の女性史研究の対象となっている。

埼玉県行田市の忍城址は現在、忍城の戦いの主要な伝承地として保存されている。

原典・公的アーカイブ

  • 一次資料

    成田記

    江戸期編纂

    成田家の家譜、甲斐姫の忍城戦参加を伝える主要典拠

  • 学術文献

    戦国の女性たち

    小和田哲男 / 新人物往来社

    戦国期の女性の位置を実証的に検討

  • 公的所蔵

    行田市郷土博物館

    埼玉県行田市

    忍城址内、忍城の戦い関連資料を所蔵

    アーカイブを見る →

第十章 — 関連レポート

資料終了 -- SA-RPT-kaihime-oshi-castle1 / 1 ページ