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長良川——1556年、梟雄は実の子に討たれた

1556年、斎藤道三は家督を譲った実子・義龍と長良川で戦い、討死した。国を奪った下剋上の梟雄が、我が子の下剋上に斃れる。父子相剋の血が、道三の生涯を閉じた。

斎藤道三長良川の戦い父子相剋

1556年(弘治二年)4月、美濃・長良川の河畔(現在の岐阜市)。斎藤道三は、実の子・義龍の率いる大軍と対峙していた。道三の手勢はわずかで、多くの家臣は義龍についた。

国を実力で奪った男が、いまや我が子に実力で滅ぼされようとしている。道三は覚悟の上で川を渡り、圧倒的な数の差の前に討ち取られた。享年六十三。

父子の亀裂

道三は晩年、長男・義龍よりも他の子を愛し、家督を義龍から奪って弟に譲ろうとしたと伝わる。義龍はこれに深い恨みを抱いた。実力で国を奪った父は、その実力の論理ゆえに、能力で子を選別しようとしたのである。

だがその冷徹さが、跡継ぎの義龍を敵に回した。父が体現した下剋上の刃が、今度は子の手に握られることになる。

義龍の挙兵

1555年、義龍は仮病を装って弟たちを城に呼び寄せ、これを謀殺した。父・道三への公然たる反逆だった。多くの家臣は、既に隠居した道三ではなく、実権を握る義龍のもとへ走った。

国主を実力で選ぶという道三が広めた価値観が、皮肉にも道三自身を孤立させたのである。翌1556年、道三と義龍はついに長良川で干戈を交える。

梟雄の最期

兵力の差は歴然としていた。道三はわずかな手勢で奮戦したが、義龍の大軍に囲まれて討たれた。伝わるところでは、道三は死の間際、美濃を娘婿・信長に譲る旨の遺言状を残したという。

真偽は定かでないが、実子に討たれる父が最後に望みを託したのが婿だったという逸話は、道三の生涯を象徴している。国を奪い、子に奪われた梟雄の血は、その見込んだ婿・信長によって天下取りへと受け継がれていく。

"国を奪うた我が、子に国を奪わるるか。これぞ乱世の理よ。"
長良川に臨んだ道三の心中として後世に伝わる(趣旨)

原典・公的アーカイブ

  • 一次資料

    信長公記

    太田牛一

    長良川の戦いと道三の最期に触れる一次史料

  • 学術文献

    斎藤道三と美濃の戦国時代

    横山住雄 / 戎光祥出版

    道三と義龍の対立を検討

  • 公的所蔵

    長良川古戦場

    岐阜県岐阜市

    道三が義龍と戦い討死した地

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第十章 — 関連レポート

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