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美濃の国盗り——下剋上、梟雄が一国の主となった
戦国の世、斎藤道三は主家を次々と乗り越えて美濃一国を奪い取り、『美濃のマムシ』と恐れられた。実力が血筋を覆す下剋上の時代を、道三ほど鮮烈に体現した者はいない。
十六世紀前半、美濃国(現在の岐阜県)。斎藤道三は、仕えていた主家を次々と排除し、ついに美濃の国主の座に登りつめた。守護・土岐頼芸を国外へ追放したのは1542年頃のこととされる。
京の油商人から身を起こしたと伝わる一人の男が、名門の守護大名を実力で追い落とした。旧来の秩序が音を立てて崩れる、戦国下剋上の到達点だった。
油売りからの立身伝説
道三は、京の妙覚寺の僧から油商人に転じ、その利を元手に武士となって美濃で成り上がった、と伝えられてきた。油を一文銭の穴に通して注ぐ評判の商人だったという逸話も残る。
だが近年の研究では、この立身は道三一代のものではなく、父・長井新左衛門尉から続く二代がかりの事業だった可能性が高いとされる。伝説の華やかさの陰に、地道に地盤を固めた父の存在があったのである。
主家を乗り越える
道三は美濃守護代・斎藤氏の被官として頭角を現し、やがて守護・土岐氏の内紛に乗じて実権を握った。土岐頼芸を擁して兄・頼武を追い、次いでその頼芸をも追放して、美濃一国を我がものとした。
恩を受けた主家を次々と踏み台にするその手口は、同時代の人々を戦慄させた。『美濃のマムシ』の異名は、この冷徹な謀略への恐れから生まれている。
下剋上という時代
道三の国盗りは、血筋や家格ではなく実力がすべてを決める戦国という時代を象徴している。守護という旧来の権威は、実務と武力を握った者の前に無力だった。道三が築いた美濃は、稲葉山城(後の岐阜城)を拠点とする強国となる。
だがこの国を実力で奪った者は、やがて我が子によって実力で奪い返される。下剋上の刃は、それを振るった者自身にも向けられることになる。
"血筋が何ほどのものか。この乱世、国は奪う者のものぞ。"
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
美濃国諸旧記
道三の国盗りの経緯を伝える軍記
- 学術文献
斎藤道三と美濃の戦国時代
横山住雄 / 戎光祥出版
二代国盗り説など現代の道三研究を反映
- 公的所蔵
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