資料No. SA-0032
侍アーカイブ
大石内蔵助
Ōishi Yoshio
赤穂藩家老
第一章 — 人物概要
| 氏名 | 大石内蔵助 |
|---|---|
| 英名 | Ōishi Yoshio |
| 出身 | 日本 |
| 生没年 | 1659–1703 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 18世紀 |
| 家・役職 | 藩士 |
| 肩書 | 赤穂藩家老 |
第二章 — 経歴
1659年、播磨赤穂藩の家老の家に生まれる。1701年、藩主・浅野内匠頭が江戸城松之大廊下で吉良上野介に斬りかかり即日切腹を命じられ、赤穂藩は改易となった。家老として藩札処理と藩士の身振り方を整理しつつ、一方で密かに敵討ちを計画した。
一年九ヶ月の隠忍の末、1702年12月14日(旧暦)、四十七人の同志と共に江戸本所の吉良邸に討ち入り、本懐を遂げた。翌1703年2月、幕府の裁定により細川邸で切腹。事件は近松門左衛門や竹田出雲によって浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』として劇化され、日本史上最も有名な「義と忠の物語」として今日に至る。
Hollywood映画『47 Ronin』(2013)等を通じ、海外でも高い知名度を持つ江戸期人物の一人である。
第三章 — 年表
第四章 — 名言
“あら楽し思ひは晴る身は捨つる浮世の月にかかる雲なし”
第五章 — 逸話
[A]昼行灯の偽装
藩改易後、内蔵助は山科に隠棲して遊興にふけり、世間からは「昼行灯」と評された。実は幕府の密偵を欺くための偽装で、その間に密かに同志を集め、武器・資金・吉良邸の絵図を準備していた。
第六章 — 影響と遺産
赤穂事件は『仮名手本忠臣蔵』として歌舞伎・浄瑠璃・小説・映画・テレビドラマで繰り返し描かれ、日本人の「義と忠」をめぐる集合的記憶を形作ってきた。海外では2013年公開のHollywood映画『47 Ronin』、複数の英訳本によって、最も国際的に知られる江戸期人物の一人となっている。
第七章 — 主な功績
- [01]赤穂藩改易処理(1701)
- [02]四十七士の組織化
- [03]吉良邸討ち入り(1702)
- [04]『仮名手本忠臣蔵』の主人公
- [05]義士論の中核としての記憶化
第八章 — 参考資料
原典・公的アーカイブ
- 一次資料
堀部武庸日記
堀部安兵衛武庸
四十七士の一人による討ち入り前後の同時代日記
- 学術文献
忠臣蔵の決算書
山本博文 / 新潮新書
東大史料編纂所教授による赤穂事件の経済・組織史的分析
- 公的所蔵
おすすめ書籍
第十章 — 関連レポート
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